特別なことをやっているつもりはないが、現代朗読は

このところ体験講座や個人セッションなどでやってきた何人かから立て続けに、
「朗読ってむずかしい」
という固定観念を持ってしまっているという話を聞いた。
なぜむずかしいという思いこみを持ってしまったのか、よく聞いてみると、
「こう読まなければならない、こう読んではいけない、アクセント、滑舌、日本語の正しい発音などおぼえなきゃならないことが多い」
といった理由で、むずかしいと思いこんでいるようだった。

その方たちは養成所や朗読教室で朗読を習ったことがあるのだが、なにか読むたびに、
「そうではなくて、こう」
「それはだめ」
「こう読まねば」
といった指導をこまかく受けて、朗読はむずかしくて面倒なものだ、という印象を持ってしまったという。
なかには朗読をしようとすると緊張のあまり身体がこわばってしまう、という人までいた。
悲しいことだ。

現代朗読においては、「こうしなければならない」とか「こうしてはならない」というものは一切ない。
自分のやりたいようにやることが求められる。

これはしかし、好き放題やることとは違う。
自分がどうしたがっているのか、自分の身体がどう動きたがっているのか、いまこの瞬間自分はどのように読みたがっているのか、身体の声に耳をすまし、自分自身の深い部分から出てくるものにたいして誠実に、正直に、そして緻密に反応していく。
これはそう簡単なことではない。
しかし、むずかしい、という言葉とはちがう。
私たちは普段、たえず自分自身の身体の声を聞いているのだが、無意識にそれを押さえつけ、ねじまげる癖を身につけてしまっている。
そのことに気がつき、ただやめるだけだ。
自分自身を疎外している意図的な企みを捨てる。

そのように自分に正直になっていけたとき、そこには大きな自由と喜びがある。
朗読ってこんなに楽しい! と気づいてとたんに活気づいてくる。
こういうことは朗読にかぎらず、人の生きることのすべての基本であり、特別なことではないと私は思っているのだが、ちがうだろうか。
現代朗読以外の、従来の朗読のほうが、よほど特殊なことを強いているような気がしてならない。

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