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1.現代朗読とはなにか
現代朗読協会はもともと、ラジオ番組で発表するための朗読や、インターネットでダウンロード配信するためのオーディオブック収録のための研究会がベースになっています。ここでの活動が、しだいにライブや公演にも発展してきたのです。
その過程で多くの試行錯誤がおこなわれてきましたが、一番強く意識するようになったのは、私たちがおこなっているのはコンテンポラリーなものであり、「現代朗読」と呼ぶべきものではないか、ということでした。 誤解を恐れずにいえば、現代朗読に対して「伝統朗読」とでもいうべきものがあります。世間一般で多く開催されている朗読会の多くは、ほとんどがこの伝統朗読といっていいと思います。 これは、まず、読むべきテキスト(小説や随筆、脚本など)があり、その内容を最大限生かして、正しく、効果的にリスナーに伝えようと「話者」が技術と精神を駆使する方法です。テキストを読みこみ、解釈し、正しい発音と発声でつぶさに正確にリスナーに伝えきることを目的としています。話者の言葉をそこなう要素は極力排除し、たとえば効果音や音楽を使うことがあっても、その場合、言葉が聞き取れないようなことはあってはなりません。効果音や音楽はバックグラウンドの音響としてあくまで控えなければなりません。 私たち現代朗読協会がおこなっている朗読では、まず「話者」が最初にあります。そこが伝統朗読との決定的な違いといっていいでしょう。 もちろんテキスト内容や朗読技術は大切なものであり、おざなりにすることはできませんが、それ以上に「話者」という表現者の存在がまずはじめにありき、という考え方なのです。 だれかが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読む。それはなんのために読まれるのでしょうか。話者は、なんのために、なにを伝えようとして「蜘蛛の糸」というストーリーを読むのでしょうか。私たちはまず、その根源的な問いからスタートします。 絵画に例えてみましょう。花瓶に生けられたひまわりがあり、そのひまわりを絵に描こうとしたとします。描き手はなんのためにひまわりを描こうとするのでしょうか。ただたんに、美しいひまわりをだれかに見せたくて絵に描きとろうとするのでしょうか。ただたんに、そこにひまわりがあり、絵筆があったから、なにも考えずに描こうとしているのでしょうか。それとも、ひまわりを描くことで「自分のなにかを表現」しようとして描くのでしょうか。 ゴッホの有名な「ひまわり」の絵を見るとき、みなさんはなにを思いますか? 「上手にひまわりが描かれているね」 と考えるでしょうか。それとも、 「きれいな色づかいだね」 と感じるでしょうか。 私の場合、そこにひまわりという植物の花を見るのではなく、ゴッホがひまわりの花を描くことで伝えようとした「なにか」を感じようとします。みなさんもそうではありませんか? ゴッホはひまわりを「上手に描く」ことが目的だったのではなく、ひまわりを描くことでしか伝えられない「なにか(言葉にできないこと)」を伝えようとして「ひまわり」を描いたことを、私たちは知っているからです。 同様に、朗読においても、だれかが「蜘蛛の糸」を読もうとするとき、「蜘蛛の糸」を読むことでなにを伝えたいのか、という意識を持つ。これが現代朗読だと私たちは考えています。 人は多様ですから、伝えたいことも多様でしょう。ただたんに「蜘蛛の糸」というストーリーを人に伝えたいだけの話者もいるでしょう。あるいは芥川龍之介という文学者のすばらしさを伝えたいという人もいるかもしれません。さらに進んで、「蜘蛛の糸」というテキストを朗読することで、「そういう読みもあるのか」と人を楽しませたり、驚かせたり、感動させたり、ひいてはそういうオリジナルな読みをおこなう朗読者としての自分自身の存在を伝えたい、という人もいるのではないでしょうか。 その場合、話者はストーリーや言葉だけに頼らず、自分を人に伝えるために効果的だと思えることはなんでも取りいれてみてもいいのです。たとえば音楽家と共演したり、といったことです。このとき、音楽はもはやパックグラウンドではなく、共演者となります。朗読と音楽は互いに効果をおよぼしあい、個人表現を盛りあげていきます(もちろん失敗することもあるでしょうけれど)。 音楽に言葉がかき消されるときがあるかもしれません。しかし、リスナーに言葉の一部が伝わらなかったとか、ストーリーが理解できなかったということは、もはや最重要問題ではないのです。重要なのは、話者がなにを伝えたいのか、ということなのです。 ここでたいていの人はふと気づきます。自分はどういう人間で、どういうことに興味があり、どういうことに問題意識を持ち、人になにを伝えようとしているのか、ということに。 この問いと欲求がない人には、現代朗読は向いていないかもしれません。 朗読をするというのは、自分自身に向かいあい、自分を表現することで他者と対話することなのではないかと、現代朗読協会では考えています。それが現代朗読ではないでしょうか。 でも、難しく考える必要はありません。まずはいっしょに朗読をやってみましょう。人の朗読にも耳を傾けてみましょう。いっしょにやってみることで、いろいろなことが(楽しいことも苦しいことも)わかってくるはずですから。 ⇒NEXT 2.朗読演出の必要性 (現代朗読協会 代表 水城雄)
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