ロード・オブ・ザ・カッパン

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   ロード・オブ・ザ・カッパン

                           水城ゆう

 いとしいシトよ。
 知ってのとおり、いまや、わしらの仲間の多くが死にたえた。生きのこったのは、このとおり、わしらわずかな者だけで、それも皆そろっているわけではない。途中で息絶えた者もいれば、行方知れずになった者もおる。連れ去られた者も何人かおるのは知ってのとおりじゃ、いとしいシト。
 しかし、生きのこっておる者は年月を重ねているとはいえ、おおむね元気じゃ。
 これを見よ、いとしいシトよ。まだ輝きとずっしりとした重みを失っておらんこのカツ爺を。このカツ爺の、鋭さをまだ失っていない頭部の刻みにインクを乗せ、紙にくぼみができるほど強く押しつけて黒々としるしを残す日を夢見ておる。
 その日は近い、いとしいシトよ。わしらがふたたび立ちあがる日がもうそこに来ようとしている。
 いまや世界はア・ドビ族やモ・リサーワ族に支配されておる。辺境にもリ・コピ族やリ・ソグラーフ族がモロドールをねらってうごめいておる。これらはいずれも、わしらを裏切って最初に世界を支配しはじめたシャーショク人の子孫じゃ。シャーショク人がバイオテクノロジーによってさらに電算シャーショク人へと進化したとき、ア・ドビ族、モ・リサーワ族という突然変異が世界を覆いつくしたのじゃ。
 彼らの欲はとどまるところを知らぬ。すべてを覆いつくし、食いつくしてもなお、世界を拡大させようとしておる。
 しかし、いとしいシトよ、彼らが生みだす紙にはあのかぐわしきくぼみがないではないか。わしらはかぐわしきくぼみを作ることができる。それはくっきりと、指でなぞればあたかも点字を読むかのようにそのまま読めるかもしれぬという魅力を感じるものじゃ。
 わしらの名前を聞いてくれ、いとしいシトよ。
 そう、わしらの名前はカッパン。
 カッパン、カッパン、カッパン。
 形ある活字、それがカッパン。
 いまわしらはふたたび立ちあがる。バーチャルイメージにおおいつくされた世界のなかで、重たき鉛を屹立させ、実体としての活字を復活させるのじゃ。
 カッパン、カッパン、カッパン。
 いざ足並みをそろえ、モロドールの地をともにめざさん!

編む人

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   編む人

                           水城ゆう

最初のループを引きしめて、鎖編みでつくり目をひとつ。できた。編み目の大きさを確認してから、ふたつめのつくり目。みっつめのつくり目。よっつ。いつつ。ろく。なな。はち。きゅう。じゅう。じゅういち。じゅうに。これでつくり目が十二目。できた。ひと目鎖で立ちあげて根元にかぎ針を差しこんでこま編みをひと目。その目にもう一回差しこんでこま編みをふた目。隣の鎖を拾ってみっつめのこま編み。また隣に移ってよっつめのこま編み。いつつめのこま編み。むっつめ。ななつめ。やっつめ。ここのつめ。じゅう。じゅういち。じゅうに。じゅうさんでつくり目の最初の鎖まできた。このつくり目にあとひとつこま編みを編んで一段めができた。あなたは作られて五十年もたったくるみ材の肘掛け椅子に腰をかけている。右手には八号のかぎ針、左手からは白い毛糸が床に置かれたかごのなかの毛糸玉へとのびている。あなたの前にはどっしりとした鋳物の薪ストーブが置かれ、ガラス窓越しにゆったりと揺れるオレンジ色の炎が見える。
(二回目はコーダにすすむ)

あなたは安心してくつろぎ、満ち足りているように見える。老眼鏡の奥の瞳はおだやかに編み目を追い、手の動きもせわしなさはない。あなたはたぶん手提げかばんを編んでいるのだが、だれのためのものなのかはわからない。だれかに編んであげると約束したような気もするが、それがだれなのかは忘れてしまった。ひょっとしたら孫娘なのかもしれない。孫は自分の娘の娘だが、今年十歳になったばかりだと思う。それともそれは去年のことだったろうか。とにかく、孫娘がおばあちゃん編み物上手ねといい、おまえにもなにか編んであげようかといい、うん編んであたし毛糸の帽子がいいなと孫娘がいい、そうかいじゃあ暖かい毛糸の帽子を編んであげようねといい、そのことをあなたは忘れてしまっていま手提げかばんを編んでいる。孫娘が本当は二十三で来月には結婚式をあげる予定であることも忘れている。孫娘とその母親、つまりあなたの娘が、あなたが結婚式に出られるかどうかでちいさないさかいを起こしていることも、あなたは知らない。ひと目鎖を立ちあげて二段めに取りかかる。二段めもこま編みで編み進める。いち。に。さん。し。ご。ろく。しち。はち。きゅう。じゅう。じゅういち。じゅうに。これまでどのくらい編んだろうか。数え切れないくらいたくさん編んだ。マフラー、帽子、かばん、セーター、靴下、ひざ掛け、カーディガン、クッション、シュシュ、エコたわし、コースター、ドアノブカバー、ポーチ、ポシェット、ペンケース。あなたが編み物をはじめたのは割合遅くて、もちろん学生時代はクラスメートといっしょにマフラーを編んだりしたこともあったのだが、受験が忙しくなったり、課題に追われたりといつしか遠ざかっていたあと、結婚し長女をみごもり、仕事を一時中断したときに再開した。三段めもこま編みで一周してから、四段めから模様編みで進めることにする。かわいい模様にしよう。女の子に気にいってもらえるように。あなたは自分もお気に入りの玉編みにしようと思う。中長《ちゅうなが》編み三目をひとつの目に編み入れる中長編み三目の玉編み模様にしよう。四段めの最初を鎖三目で立ちあげたら、まずは未完成の中長編みをひとつ編んで三目めのこま編みの頭に引き抜く。未完成の中長編みのふたつめをおなじところで引き抜く。未完成の中長編みのみっつめをおなじところで引き抜く。そして最後に中長編みの未完成になっているループを一気に引き抜けば、玉編みがひとつ完成だ。ひとつ鎖でつないで、つぎの中長編み三目の玉編みに取りかかる。いまはそんなことをかんがえもしないけれど、かつてはかんがえていたことがある。編み物はなにかに似ていると。そう、たとえば、あなたが生涯を捧げようと決意していた音楽。あなたは好きになった同級生のために、ラジオを聴きながらマフラーを編んでいた。FMラジオで、そのときクラシック音楽の番組が流れていて、クラシックだけれど現代に近い作曲家の音楽が聴こえてきた。トランペットが鋭い高音のメロディを奏《かな》で、あなたは雷に打たれたように編む手を止めた。あとでわかったことだけれど、それはストラビンスキーのペトルーシュカというバレー組曲で、そのとき以来、あなたは毛糸を編むことから音を編むことに進んだのだった。とてもつらくて大変な受験の準備と受験を乗りこえてあなたは音楽のアカデミーに進み、たくさんの音を編む道にはいっていった。そのことをいまのあなたはすっかり忘れている。いや、どうだろう。ちょっと待って。いま、孫娘のためだと思って手提げかばんを編んでいるあなたから鼻歌が聴こえてくる。そのメロディは聴いたこともないものだけれど、クロマティックな現代的なラインを持っている。ひょっとしてそれはあなたが過去にたくさん書いた曲のひとつなのだった。それをあなたはいま、口ずさんでいる。口ずさみながら五段めに取りかかっている。五段めも中長編み三目の玉編み模様で編み進めていく。五段目、六段目、七段目と、四段を中長編み三目の玉編み模様で編み進めた。ほら、とってもかわいくなってきたわ。これなら私のかわいい娘も気にいってくれるでしょう。もうすぐ小学校を卒業する私の娘。音楽にはあまり興味がないみたいなのが残念だけど、体を動かすことは好きみたいで、バレエは楽しく通ってくれている。べつにバレリーナになってほしいわけじゃないけれど、音楽とともに人生を編んでいってくれるとうれしいわね。七段めが終わり、八段めに取りかかろうとしたとき、突然あなたは手をとめる。だめ。やっぱりこれ、だめ。かわいくない。こんなんじゃ気にいってもらえない。女の子はこんなものを好きにならない。もっとかわいくなきゃだめ。これは失敗。やりなおし。最初からやりなおし。ほどいて最初からやりなおし。そしてあなたはそれまで編んだ毛糸を端からどんどんほどいていってしまう。
(最初にもどる)

(コーダ)
人生は取りかえしがつかない、すぎてしまった時間には二度ともどれない、とよくいわれるけれど、あなたはそうは思わない。あなたが編んできたたくさんの編み物や音楽や愛する人や子どもたちとの時間や、年輪を重ねたその肉体は、二度ともとにはもどらないし先にすすむしかないのだ、その先は肉体のおとろえと滅びの時間へとつながっていて、すべてのものは無に帰すのだという人がいるけれど、あなたはそのようにはかんがえていない。あなたがいま編み物をほどいているように、編んだ先から毛糸をほどいて最初にもどろうとしているように、あなた自身もいまほどかれつつある。孫娘が本当は二十三歳であることも、来月には結婚式をあげることも、手提げかばんではなく帽子をほしがっていたことも、あなたは忘れほどかれていく。自分が何歳であるのかも忘れてしまったし、目の前にあると思っている薪ストーブが本当はたんなるガラスのテーブルで冷たい光を反射しているだけであることもわからなくほどかれている。四段め、三段め、二段めと順調にほどいていって、最後の段もほどきはじめる。手のなかの編み物は幅が細くなり、ゆっくりと慎重に毛糸をほどかないとからまってひっかかってしまいがちになる。最後の段も一目、二目とほどいていき、とうとう鎖編みの作り目だけがのこる。たくさんの編み物や音楽や愛する人や子どもたちとの時間や、年輪を重ねた肉体をほどいてきたあなたは、最後の作り目だけになって、いまそこにそうやってくるみ材の肘掛け椅子に腰をかけている。そしてあなたは最後の作り目をほどきはじめる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
(フィーネ)