イベントホライズン

(C)2019 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   肌にあたる海水の冷たさを思い唇がほころぶ

                           水城ゆう

 あの丘を越えれば
 無限の波と雲が迎えてくれるとわかっているのに
 おまえは死の影におびえながら歩《ほ》をためらっている

 なにをしようにも
 なにをいおうにも
 なにかを思い出し
 思考と観念の痛みが
 ただ積み重なり
 がんじがらめになる日々に
 おおわれたのはいつからなのか
 おまえはもう思い出すことができない

 ほら
 もうそこに見えている
 丘を越えよ
 一歩踏みだせ
 すべてを呑みこみ
 すべてを断《た》ち切る
 降着《こうちゃく》円盤《えんばん》が
 まばゆく輝いている

 そこは時と光が引きのばされ
 あらゆる事象が人知《じんち》を超える
 イベントホライズン
 闇の此岸《しがん》に
 我らの地がある

  *

 いただき物の菓子箱を包んでいた包み紙の皺《しわ》を、きみは丁寧《ていねい》にのばしている。テーブルの上に紙をひろげ、隅々《すみずみ》まで手のひらと指の腹を使って、皺をまっすぐにしている。皺がのび、紙がまっすぐになると、きみはそれを半分に折る。端《はし》と端を合わせて、まずは長いほうからふたつに折る。角《かど》が正確に合っているのを確かめ、真ん中に折り目をつける。
 包み紙が半分になったら、さらにもう半分に折る。今度も角が合っているのを慎重に確かめ、きっちりと折り目をつける。さらにもう半分。四つ折の新聞紙ほどの大きさになると、きみは立ちあがり、物入《ものい》れの引き戸をあける。
 物入れには整理棚があって、段のひとつにきれいに折りたたんだ包み紙が何十枚も重なっておさめられている。いまたたんだばかりの包み紙をきみはその上に乗せ、そっと手のひらで押さえて厚みの感触をたしかめる。

  *

 おまえはまたうっかり、いつものようにろくに噛まずに肉の塊を飲みこもうとして、胸を押さえる。狭くなり、食べ物を胃へと送りこもうとする蠕動《ぜんどう》運動が鈍《にぶ》っている食堂に、とんかつのひと切れが引っかかって止まる。
 痛みと息苦しさで、おまえは涙目《なみだめ》になりながら、テーブルの上の水のコップに手を伸ばす。水を飲む前に、なかば無意識にこぶしを作った手で胸をとんとんと叩く。そんなことをしてもなんの効果もない。
 水をひと口ふくみ、飲みこむ。水は食道をふさいでいるトンカツのところで止まり、冷たくたまる。痛みをこらえ、待つ。水はやがて、肉塊《にくかい》のすきまをとおり、食道を通りぬけていく。それにつれて、引っかかっていた肉塊もするりと動きはじめ、ゆっくりと胃へと降りていく。
 痛みが引いていく。おまえはほっと息をつき、胸をさする。その奥にあるイベントホライズンを思いながら。

  *

 きみは大根を切ろうとしている。これから味噌汁を作ろうというのだ。葉の根元が残っている首のところをザクリと切り落とす。落とした首は捨てないでまな板の横に取っておく。つづいて五センチくらいのところで横に切る。円筒形ができる。包丁を皮にそってあて、大根の皮を薄くそぐように切りはいでいく。皮をはいだ大根は縦に切れ目をいれて、太いマッチの軸のような形にすると、水を張った小鍋にまとめて入れる。皮も捨てずに取っておく。
 つづいて人参《にんじん》を切る。葉がついたままだ。おなじように根元《ねもと》を切り落とす。皮はむかずに、大根のように、しかしもっと細い軸になるように、刻んでから小鍋《こなべ》に入れる。首についている葉は外側のものを何本か指でちぎってきれいなものだけ残すと、そのまま水を張った小皿に乗せる。大根の首も別の小皿に乗せる。
 それらを窓際《まどぎわ》に並べる。こうやっておくと、大根からも人参からもあたらしい芽が出て、あたらしい葉が伸びて彼の目を楽しませてくれるだろうと、きみは思っている。

  *

 おまえは浜辺でそれを見つけたのだ。波はちいさく、サーフィンの合間に波打《なみう》ち際《ぎわ》で休んでいた。手をうしろに突き、両脚を投げ出して波に洗われままにしていた。指先になにかが触れて、おまえはそれをつまみあげた。貝の死骸か小石だろうと思った。
 目の前にかざしてみると、それは自然のものではなく、あきらかに小さくて丸い人工物だった。ビーズ玉というにはすこし大きい、ペンダントというには小さい、大きめのイヤリングか丸いボタン、とんぼ玉のような、材質は木ではなくおそらく石または金属、表面にはこまかな彫《ほ》り物がしてあり、古代文字のような模様が浮かびあがっている。梵字《ぼんじ》のようにも見えるが、梵字ではなく、おまえが見たこともない文字だった。
 文様は浮き彫りなっているようだが、よく見ると透《す》かし文字で、掘りあげられた文字の奥にさらになにか透けて見えていた。
 かすかに光っている。しかもその光がちらちらとまたたいている。光源そのものが動いているようにも見えた。
 なぜかわからないが、おまえはそれを口にいれてみたい衝動にかられた。なめてみたくなったのだ。
 おまえはそれを口にいれた。舌の上にころがしてみると、思いがけず焼けるような熱を感じた。吐きだそうとするおまえの意志に反して、それは舌の上をころがり、喉の奥へ向かった。焼けるような熱さと痛みに、おまえは思わずそれを飲みこんだ。

  *

 きみはくねくねと扱いにくい細長いホースの先端を苦労してバスタブにいれる。バスタブには昨夜の残り湯がある。風呂蓋もホースも取りまわすたびに水滴が飛び散って、せっかく拭《ふ》きあげた風呂の床を濡らしてしまう。スリッパを脱げばいいけれど、靴下もいっしょに脱ぐ必要がある。
 ホースの先端には丸いプラスチックの口がついていて、そこから残り湯を吸いあげるようになっている。ドラム式の洗濯機で残り湯が使えるようにするのに、きみはとても苦労した。いろいろ調べて金具を取りよせたりして、やっと使えるようになった。たとえ残り湯といえども、そのまま下水に流してしまうにはしのびない。洗濯に使う分にはまったく支障はない。残り湯を最後まで使いきることが、きみには重要なことなのだ。

  *

 マイクロブラックホールは、そのシュヴァルツシルト半径が量子サイズのブラックホールである。ミニブラックホールとも呼ばれる。ブラックホールの質量はシュヴァルツシルト半径に比例するため、質量もそれに応じ小さいが、量子サイズであることを考慮すればきわめて大きい。
 ブラックホールを記述する一般相対性理論のシュヴァルツシルト解《かい》は、任意の質量のブラックホールを許容するが、当初はこのような極微《きょくび》のブラックホールを生成する現象は知られておらず、存在しえないと考えられていた。しかし、ビッグバン直後の高エネルギー状態の中で発生した可能性がある。

  *

 目覚めたとき、たしかにおまえは彼女の気配《けはい》を感じる。彼女の気配を感じている自分を感じる。おれはまだ生きている、と思う。それから「まだ」というのはおかしいなと思う。「まだ」でもなく、「さらに」でもなく、「もう」でもない。「いま」だ。目を閉じたままかんがえをリセットする。おれはいま生きている。
 息をしている自分に気づく。生きている自分。息を吸い、吐いている自分。胸郭《きょうかく》の内積《ないせき》が増加すると、ふくらんだ肺に臓器が圧迫される。食道が押され、脊椎《せきつい》とのあいだにある組織から痛みが生まれる。
 組織はあの物体を包みこんで肥大化している。歴史が生まれるはるか以前の古代人が、すでにうしなわれた技《わざ》を使ってあれを作った。原初宇宙の黒い力を閉じこめる技。
 黒い力は時間と空間を支配する。おまえも時間と空間に支配されている。すべての人間、生き物、存在が、宇宙の時間と空間に支配されている。黒い力はおまえの時間と空間をひずませている。
 あれを取りこんだおまえの身体《からだ》の細胞は異常な増殖をはじめている。増殖細胞は全身に転移し、おまえの時間をひずませていく。しかしそれは自然なことなのだ。宇宙の法則の一部なのだ。人がそれにあらがうことはできないのだ。
 おまえは横たわったまま目をあけ、彼女の気配を感じている自分のひずんだ身体を観察している。彼女はまだ眠っている。規則正しい寝息が聞こえている。それを邪魔しないようにおまえはそっと身体を起こす。

  *

 彼がきみに気づかれないようにそっと身を起こし、水を飲みに行くのを、きみは目を閉じたまま感じている。
 キッチンの流しには昨日の食器の洗い残しがあって、彼はそれを洗おうとしている。湯沸かし器のスイッチを入れる音がする。いくつかの食器を洗うためだけに盛大《せいだい》に、たっぷりとお湯を使うのを、きみはもったいないと思う。しかし、そのことをいうのはもうやめた。いまの彼は冷たい水を使うことがつらいらしい。彼の身体は感覚が鋭敏になったり鈍感になったりしていて、想像がつかないような変化が起きている。
 きみにはそれを止めることはできない。彼にもそれを止めることはできない。だれにもどうすることもできないことがある。

  *

 ふたりがかりで寝台に寝かされ、身体《からだ》の位置を神経質に調節される。胸に直接医療用マーカーで描《えが》かれた青黒い皮膚マークを目印に、照射される光で位置合わせをするらしい。ひとりが両脚を抱えて腰の位置を左にずらす。もうひとりはバンザイの格好にあげた両腕の位置を調整する。一ミリ単位の微妙な調整を繰り返し、やがてオーケーが出る。
 動かないでくださいねといい残し、ふたりの放射線技師は部屋を出ていく。巨大な円盤のような照射機がおまえの上におおいかぶさっている。
 やがて遠くからブザーの音が聞こえ、放射線の照射がスタートする。なんの感覚もない。実際にはレントゲン撮影の百倍以上の線量のX線が、腫瘍に向けて照射されている。
 感覚はないが、腫瘍の奥にある古代の玉が反応しているようだ。目を閉じると作りだされたイメージなのか、それとも実際のビジョンなのか、脳裏にそのようすがまざまざと浮かんでくる。
 透《す》かし彫りの古代文字のような文様《もんよう》の奥には、ちらちらと光が動いている。それが照射されるX線に反応するのか、ときにまばゆい閃光を上下に放つ。上下の放射光は、中心部に平たく広がった円盤のような光をつらぬいている。円盤は目まぐるしく回転し、体組織を引きよせ、吸着しているように見える。
 降着円盤。そこでは光ですら脱出できない重力の穴にむかって引きよせられた物質が、事象の地平線――イベントホライズンにそって回転している。限りなく光の速度にひとしい高速で回転する円盤上では、時空は無限に引きのばされている。ここでは一瞬が永遠にひとしく、点が無限の空間にひとしい。また時間と空間は重なりあいつつ並行して存在している。
 おまえの肉体はそれに向かって収束していく。時間という概念を創り出したヒトの脳世界では、それを死と呼ぶ。
 人知を超えた潮汐力《ちょうせきりょく》にとらえられ、おまえは巨大な渦に巻きこまれていく。いったん渦に巻かれればだれもそこから逃《のが》れることはできない。たとえそれがマイクロブラックホールであったとしても、ブラックホールに向かう流れは不可逆なものであり、元にもどすことはできない。しかし、その先にあるものは終焉《しゅうえん》ではない。ゴールではない。死という概念でもない。その先にあるものは認知が不可能な事象の地平線であり、すべてがあると同時にない場所でもある。
 やがてまばゆい光のなかでおまえは自分の姿を見る。いま、この瞬間、降着円盤のなかで行く手を凝視しているおまえ自身の姿を、周回軌道をぐるりと追いついてうしろから見る。おまえがいま見ているのは、前を見ているおまえ自身のうしろ姿だ。
 おまえはおまえ自身のうしろ姿に近づき、やがて追いこしていく。追いこしたかと思えば、また目の前におまえの後ろ姿がある。それはいまのおまえの後ろ姿ではない。おまえはウェットスーツを着てサーフボードを小脇《こわき》に抱《かか》えている。浜辺を波打ち際に向かっているおまえの姿はいつのものなのか。過去の自分の存在が降着円盤のなかでめぐり、それに追いついたいまのおまえが見ている。
 気がつくとおまえの姿が無数に見える。前にも後ろにも、横にも。上にも下にも。まるで巨大なマトリクスのように、あるいは全周囲の合わせ鏡のように、自分のさまざまな姿がめぐっている。はるか上には子どものころの自分の姿も見える。父親に手をひかれ、河原の堤防に植えられた桜の満開のトンネルの下を、生まれたばかりの妹に会いに病院に向かっている三歳のおまえの姿。期待と好奇心に満ちた、同時に不安がよぎる感情の記憶も、物質化してそこにあるがごとく感じることができる。
 きみはいただき物の菓子箱を包んでいた包み紙の皺を丁寧に、楽しげにのばしている。そうか、楽しんでいたのか、きみは、とおまえは気づく。切りおとした大根の首を小皿に置いているきみも、それを楽しんでいる。おまえが喜んでくれるかもしれないと想像して楽しくなっている。小皿を窓際に置いて、外からの光で若い葉が緑に透けているのを、微笑みながら見ているきみがいる。風呂の残り湯を無駄なく使うことに創意工夫の喜びを感じながらきびきびと選択しているきみの姿もある。
 そうか、ここにいたのか。みんな、ここに、すべてが無限の時間のなかにあるのか、とおまえは気づく。ここにすべてがある。
 私の肉体と魂が消失すると同時に、すべてが存在するイベントホライズン。私のなかにあり、また私自身をも含んでいる。
 全的理解がここにある。
 私はいま、ピアノを弾いていて、ここにいると思っているけれど、本当は宇宙のどこか、イベントホライズンの無限に引きのばされた時間と空間のなかにいるのかもしれない。
 私は――あなたは――おまえは――きみはここにいると同時に、ここにいないのかもしれない。
(おわり)

肌にあたる海水の冷たさを思い唇がほころぶ

(C)2019 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   肌にあたる海水の冷たさを思い唇がほころぶ

                           水城ゆう

 何度もなんども「これは夢ではない、リアルな現実に起こっていること」と確認している夢からさめると、自分がまだ生きていて、汗をかきながら浅い呼吸をしていることに気づいた。
 呼吸をするたびに胸の奥のにぶい痛みが脈動するように感じるのは、錯覚だ。
 最初は不整脈だと思った。だからハートクリニックに行ってみたりした。心電図をとり、ホルダー検査までした。「食道かもしれませんよ」という医師のことばを聞きながしていたことを、いまさら思いだす。
 呼吸と連動する痛みは肋間神経痛だ。それがどのようなメカニズムで発生するのかは知らないが、何度も経験している。息を吸うのがつらいほどのこともあった。いま息を吸うときに痛みに身構えてしまうのは、たんなる痛覚記憶による反射反応にすぎない。
 起きあがって枕元においたポーチから錠剤をつまみだす。ロキソニンひと粒で胸の奥の爆弾がいまのところ静まってくれるように思える。そのまま消えてなくなればいいのに、という常套的な願い言葉が頭の内側でこだまする。
 備えておいた水筒の水で薬を飲みくだす。いまのところ、水は支障なく飲める。
 ブラインドの角度を変えて光をいれると、椰子の木の影の角度からすでに午前七時をまわっていることがわかる。波打ち際をカモメが鳴き声も立てずにふわりと飛びすぎていく。風は強くないらしい。そのくせ波が高いのは、台風が近づいているという予報を裏付けしているのかもしれない。
 今日はなにしよう。
 問うまでもなく、うねりをともなった波が朝食前の私を呼んでいる。
 その前に、コーヒーを一杯。
 あと半年とか、あと数か月とか、限定的な余命を告げられたとき、人はそれまでとは違うなにごとかをやりたくなるらしい。行ったことのない場所に旅行するとか、食べたことのないものを食べに行くとか、会いたかった人に会いに行くとか、がまんしていた遊びに打ち興じるとか、なにか知らないけれど快楽にふけるとか。
 私は違うことをやりたくなる前に毎日が違うように見えはじめたので、違うことをやる必要がなくなった。コーヒーをいれることだって、昨日と今日とでは感じが全然違う。コーヒーが変わるのではなく、自分が変わるのだ。昨日の自分と今日の自分は全然違う人間だし、違う現象だ。
 そんなことは前から知っていたはずなのに、ちゃんとわかってはいなかった。限定的な余命を告げられなければそれが身体に落ちてこなかったなんて、どれほどおろかだったんだ、自分、と私は思う。
 もっといえば、限定的な余命だって、すべての人がそうだし、私だって生まれて以来ずっとそうだったはずで、なにも医者から余命を告げられたいまにかぎったことではない。
 ほんとにばか。
 パジャマを脱ぎ、生理用ナプキンを引きだしから出そうとして、生理はすでに終わっていたことを思いだす。
 ほんとにばか。かわいくすらある。
 あと何日、波に乗れる? ウェットスーツのすきまにはいりこんでくる最初の海水の冷たさを予想しながら、私の唇はほころびている。

ボトム・クオークの湯川結合で見えてきたタイムトラベルの可能性

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   ボトム・クオークの湯川結合で見えてきたタイムトラベルの可能性

                           水城ゆう

 だれもが過去の失敗を悔やむことはあるでしょう。あのときこうすればよかった、あるいは、あのときあんなことをしなければよかった、その時点にもどれればいいのに、もう一度やりなおせたらいいのに、と。
 我々ハドロン衝突型粒子加速器のチームは、ヒッグス粒子がボトム・クオーク対へと重力崩壊する事象の観測をATLAS側でおこなっていたときに、質量起源の理論モデルによって裏付けられていた湯川結合のゆらぎを測定することに成功しました。質量は時間に変換できますから、ニュートリノ振動を反物質的に減速してやることによって、時間を反転させうる地平が見えてきたことを意味します。
 一般に時間とは不可遡なものであり、リニアに進行するものと思われて(思いこまれて)いますが、もちろんそうではなく、局所存在的なムラがあり、ときには可遡的であることが第三世代フェルミオンの観測結果を待つまでもなく提言されていたことでした。実験高エネルギー物理学の立場からいえば、我々は確率冷却法をもって時間不可遡のもつれを打ち破るべくミューオンに張り付きますが、同時にまた、量子分野の理論物理側からも破られる可能性があることを高らかに予言するものであります。この予言はあらかじめ決定されていたことではありますが。

ビッグウェーブ・サーファー

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   ビッグウェーブ・サーファー

                           水城ゆう

 足首からぽっきりと折れて壊れてしまったマリア像と十字架のある丘のてっぺんに仁王立ちになって、カルロスは街と岬と海を見渡す。
 ナザレの白っぽい街は丘の中腹から浜に向かって所狭しとなだれ寄せている。数年前に作られた岬の展望台には、ヨーロッパ中からやってきた観光客が集っている。ヨーロッパどころか、アメリカやアジアから来た客もいるにちがいない。あのカメラを構えた男は、どう見ても日本人だろう。驚異的な視力で、カルロスはひとりひとりを見分ける。
 それから、岬の沖へと目を転じる。
 観光客たちには残念なことだろう、今日の波は六メートルにも満たない。だから彼だって海に出ないのだ。朝からボードに触ってすらいない。それでも波頭は派手に崩れ落ちて、下腹にひびく音を立てている。
 このまま十月が終わってしまうつもりだろうか。このシーズン、まだ一度もビッグウェーブには乗っていない。天気予報では、しかし、明後日の引き潮の時間に、かなりの波が期待できそうだとか。
 もう少し待つか。
 丘から街へと、足場の悪い岩場の道を、カルロスは軽やかに駆けおりた。もうすぐ五十に手が届くとはいえ、今シーズン絶好調で、身体は軽い。
 ねぐらに借りているガレージのロフトにもどる。借り賃はゼロ。その代わり、オーナーの庭の手入れと子どもたち——それがまた六人もいるときている——の世話をたまにすることになっている。家族をバルセロナに置いてひとり、二か月も波乗りに集中するためにここに来ている。そのくらいどうってことない。
 去年はでかいのに乗りそこねて、肋骨を四本も折った。むち打ちにもしばらく苦しめられた。今年、復帰すると宣言したとき、さすがに家族にもいやな顔をされた。知り合いからは、いい歳してなんで波乗りなんてのに金をつぎこむ、もっと家族を大事にしろといわれた。
 しかし彼は今年ももどってきた。
 仲間のなかには世界記録が目標のやつもいる。スポンサーを獲得してプロになるのが目的のやつもいる。女にもてたいだけのやつもいる。
 カルロスも聞かれたことがある。なんでビッグウェーブに乗るんだ、と。
 死と隣り合わせのときが一番生を感じるからだ、と答えたが、本心じゃない。そのことばはだれかの受け売りだ。彼がでかい波に乗るのは、波が彼の一部だから。いや、逆だ。彼が波の一部だからだ。
 二〇メートルを超えるばかでかい波に乗り、七階建てのビルの高さからまっさかさまにすべり落ちるとき、頭のなかは真っ白になり、自分が生きているのか、死んでいるのかすらわからなくなる。おれはまちがいなくこの瞬間のために存在しているんだと感じる。
 どんな形であれ、人はかならず死ぬ。そのときに、ある瞬間の感覚に輝かしく包まれて、笑いながら息を引きとれるかどうかってことだ。
 まったくおれって自分のことしか考えちゃいねえよな。カルロスはひとり、薄暗いガレージのロフトで低い笑い声を漏らした。

クラリネット

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   クラリネット

                           水城ゆう

 その人はそらの上からやってきた
 古びた黒いクラリネットを持って

 その人がクラリネットを吹くと
 古びた音がした
 アルトサックスでもフルートでもなく
 リコーダーでもオーボエでもない
 そのクラリネット吹きは
 いろいろなものを連れてきた

 ぜんまいじかけの柱時計
 ぎざぎざのついた洗濯板
 足踏み式のミシン
 三角乗りした自転車
 土でかためたかまど
 炭を乗せるアイロン
 手で汲みあげる井戸ポンプ
 黒板とチョークと黒板消し
 すこし調律の狂ったアップライトピアノ
 はさに干した稲の束
 軒に吊るした干し柿
 ハエ取り紙と汲み取り便所
 ナイフで削った鉛筆の先
 竹で作った鳥かご
 アカハライモリの住む田んぼ
 蛍が生まれる用水路
 カッコウが鳴く向い山
 渓流の飛び込み岩
 ツバメの巣
 夕立
 つらら
 雑木林

 クラリネット吹きは
 なつかしいメロディを何度か吹くと
 またそらの上にもどっていった
 連れてきたものたちも
 一緒に連れてかえってしまった
 それからというもの
 古びた黒いクラリネットは
 一度も見かけていない

夏の思い出

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   夏の思い出

                           水城ゆう

 ほかにはだれもいない高校の屋外プールには、暖かい雨が降りそそぎ、水面には無数の波紋が広がっている。
 ぼくらは首から上だけを水の上に浮かべ、水中で手足を触れあわせながら向かいあっていた。
「時給っていくらなの?」
「六百五十円」
「まあまあだね」
「でも二時間だからね」
 話すと声が奇妙な具合に水面を伝わり、プールのへりにぶつかってもどってくる感じがあった。屋外なのに、閉じられた部屋のなかにいるような親密さ。
「勉強する時間はあるわよね」
 彼女は先に京都の会社に就職して、ぼくが京都の大学に進学するのを待っている。そういう青臭い段取りになっていた。
「まあね」
 手をのばすと、水着に包まれた彼女の胸に指先が触れた。
「いつ戻るんだっけ?」
「お盆休みは明後日まで。って、いわなかったっけ? 午後の雷鳥で戻る」
「そっか」
 雨は当然、水のなかまではとどかず、ぼくらの髪と顔を濡らしている。
「大学に行ったら、もうすこし稼げるバイトしたいな」
「どんなの?」
「わかんないけど……プールの監視よりは稼げるやつ」
「稼いでどうするの?」
「そうだな、旅行に行きたいな。海外とか」
「いいね。いっしょに行こうよ」
「うん。来年の夏までぼくたち付き合ってればね」
「どういうこと?」
「もうすぐ別れちゃうんだよ、ぼくたち」
 なぜそんなことをいったのか、自分でもわからない。しかし、それは事実なのだと、ぼくにはわかっていた。
「どうしてそんなことをいうの?」
「ほんとうのことだから。ぼくたち、長く付き合わないんだよ。来年はぼくは京都の大学に合格するけど、きみは仕事をやめてこっちに帰ってきちゃうんだ。夏はぼくは京都の中華料理屋で深夜のバイトをする。その前にガソリンスタンドのバイトもちょっとやるかな。でも、深夜のバイトのほうが稼げるからそっちをやる。で、けっこう稼ぐんだけど、旅行には行かない。深夜のバイトをやめたあと、教材の配達のバイトをやるんだ。ほら、運転免許があるからね」
 自動車教習所にちょうどいま、通っているところだった。
「でも、これも長続きしない。バイト仲間から祇園のジャズバーのバーテンダーの仕事を紹介されるから。その仕事をぼくは三年くらいやる。筋《すじ》がよくて、マスターから本職にならないかと真剣にくどかれる。けど、ぼくはピアノ弾きになるんだ。ジャズバーに出入りしていたバンドマンの生活が魅力的でね。二年くらいやるんだけど、カラオケブームが来て仕事がなくなっちゃうんだ」
「カラオケってなに?」
 そうか、まだこの時代にはカラオケというものは存在しないんだった。彼女が知らないのも無理はない。
「仕事がなくなっちゃったぼくはしかたがないから、小説を書いたりする。結局はこっちにもどってきてピアノの先生なんかやるんだけど、書いた小説が出版社の目にとまって、職業小説家になるんだな。十年くらいやるんじゃないかな。そのあとは出版もうまくいかなくなって、自分で会社を起こしたり、ネットコンテンツの仕事をしたり、自分でもうまく説明できないような感じになっていく。そのあとのことはよくわからないな。自分でもどうなるかさっぱりわからない……」
 気がつくとぼくはひとりで話している。話していたはずの彼女はどこにもいない。そしてここは学校のプールでもない。海のまっただ中だった。
 空には雲が低くたれこめていて、見上げると雨つぶが私を押しつぶすかのように重く降りしきってくる。
 ここはどこなんだ。いつなんだ。彼女はどこに行ったんだ。ぼくが話していたのはなんなんだ。未来なのか、記憶なのか。
 なにも思いだせない。
 ぐるっと見回しても、陸地はどこにも見えない。
 私はいったいどうしてこんなところに……?

ファラオの墓の秘密の間

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   ファラオの墓の秘密の間

                           水城ゆう

 外気の侵入を完全に遮断するためのシールドで覆われた開口部をくぐり抜けると、すでに送りこまれていたロボットの照明で内部はくまなく照らされていた。
 明るすぎる。いや、これでも暗いのか?
 明暗の感覚が狂っている。
 影の部分にまで陽光がまわりこむかのようなギザの砂漠の強烈な日差し。そこから闇に閉ざされた大回廊と王の間を通り、ミューオン透視によってあらたに発見された秘密の間へ。ロボットの照明が昼より明るいように感じるのは、極端な差異がもたらす錯覚か。
 ほとんど宇宙服に近い完全装備の防護服に身をかためた我々は、秘密の間の奥へ慎重に歩を進めた。ロボットによる事前調査で、すでに驚くべき副葬品の数々が確認されていたが、あらためて直接目にすると、心臓が締めつけられような歓喜に包まれる。
 すでにロボットアームによって蓋が取りはずされている石棺のまわりに、我々は静かに集合した。四千五百年間眠りつづけた王の遺体をのぞきこむ。
 当然我々は王の遺体にはツタンカーメンのような黄金のマスクが装着されているものと予想していた。ところが、クフ王は素顔のままそこに横たわっていた。ただし、頭部には帽子がかぶされている。
 その帽子はどう見ても日本の麦わら帽子だった。
 そう、子どもが夏の海辺でかぶるあれ。大人が炎天下の草むしりでかぶるあれ。そんなものがなぜこんなところに……
 声もなく呆然と立ちつくす日本チームを、フランスチームは不思議そうな顔をしてながめている。

南へ

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   南へ

                           水城ゆう

 夕暮れになってバッテリーがこころもとなくなった。速力を半分に落とし、抵抗を減らす。とたんにボートがかきわける水音が消え、静寂が強調される。
 とはいえなにも音がないわけではない。先ほどの夕立(スコール)の名残りを葉にためている木々から、絶え間ない水滴が水面に落ちている。姿は見えないが、ときおりサギの鳴き声が森の奥から聞こえる。
 ヒロハシサギだな、とフルヤは反射的に判断する。中米を生息地とする鳥がここにいる理由は別として。
 しかし、彼の専門はヒルギなどに着生する熱帯ランの植生だ。
 すでに汽水域だが、このあたりはまだ塩分濃度が低い。さらに南へくだり塩分濃度が高まると、呼吸が重くなるように感じる。
 フルヤは暮れはじめた空を見あげて思う。もうひと雨来そうだ。西の空はピンクに近い紫に染められている。手前にスカイツリーが湿度のなかにくすんで黒々と浮かびあがっている。
 今夜はこのままどこかに係留し、明日も調査を続行する。ちょうどこのあたり、かつての江戸川の真上で、市川の高層マンション群が東にある。水位は四階あたりまであるが、着艇して上層階に行ければ湿った衣類を乾かすことができるだろう。
 あたりをつけてマンションのひとつに船首を向けた。おそらく京葉道路かなにか、苗床にしてヒルギが長々とマングローブ帯を作っている。海面上昇前は石垣島以南にしか生育しなかったニッパヤシも、帯状のところどころで林になっているのが見える。
 マングローブの脇をゆっくりと進めると、ヒルギモドキの枝のいくつかからフウランの一種が白い花をつけて垂れさがっているのが確認できた。花穂のシルエットがあまり見慣れたものではない。新種かもしれない。明朝確認しようと、フルヤは位置を頭に刻みこんだ。
 マンション北側の非常階段に調査用のゴムボートを横着けした。手を伸ばせばちょうど五階部分の階段の手すりに届く。が、金属もコンクリートもボロボロに腐食していて、ボートを係留するには危険だ。もやい綱をにぎって、ひょいと手すりのすきまから踊り場に立った。奥のほうにもうすこししっかりともやい綱を固定できるなにかがあるだろう。
 踊り場から振りかえると、半分水没して夕闇に溶けこみかけているトーキョーのシルエットがあった。ヒロハシサギが一羽、大きな嘴を突きだし、ゆっくりと水面を渡っていくのが見える。
 明日はもっと南へ、フルヤの脳裏をそんなことばがよぎる。

アルチュール

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   アルチュール

                           水城ゆう

 もたもたとお茶をいれるその手際のわるさに、私はいつものようにいらだってしまう。二a型の学習アルゴリズムに問題があることは承知の上で彼を購入したのだが、茶を所望したときはそれを後悔する。
「いったでしょう、アルチュール。茶葉は倍以上使って濃くしないと飲めたものじゃないって。そんなふうにとろとろいれない! 冷やすときは一気に氷に注ぐのよ」
 私のとげのある口調に彼はびくっとなり、さらに動作が鈍くなる。その感情反射アルゴリズムは頭の悪いパブロフの犬のようだ。
 いつまでもそんな風だと廃棄だからね。いつも思うこれは口に出さない。そのかわり彼に注文を出す。
「なにか詠んでちょうだい、アルチュール。なんでもいいけど……そうね、テーマは紅茶で」
 彼は一瞬かんがえ、すぐに口を開いた。
 そんなときはよどみない。しかも私のためにアイスティーを運んでくる動作もまったくとどこおりなく。

 おれの魂は琥珀の酒
 ただれた溶岩を伝って
 冷たい世界の化石となる
 未来永劫ここから見張れ
 淫らな女どもを

 聴きながら私はいつわりの優越感にひたる。二a型のアンドロイドを所有する身分。とはいえその私も三d型という、いまや骨董品にちかい型式の人工知能搭載ヒューマノイドではあるのだが。

落雷

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   落雷

                           水城 雄

 中継地の桟橋沖を通過したとき、二、三の人影がこちらに向かって手を振り、なにかいっているのが見えたが、僕もジョエルもそれを無視して下手《しもて》のマークへと直進した。
 風はアビームからややのぼりぎみ。ときおりやってくるブローに合わせてハイクアウトし、艇のバランスをたもつ。つま先をフットベルトに引っかけ、尻はほとんどデッキの外にはみだすほど身体をそらす。船首が立てる波しぶきと、二十分ほど前から降りしきっている雨つぶが、眼をあけていられないほど顔面をたたく。
 ヨットはいま右舷開き《ポートタック》で走っている。風が左へと振れていく。これ以上振れると、マークまでのぼりきれなくなって、方向転換《タック》が必要になる。舵棒《ティラー》を握っているジョエルはぎりぎりまでのぼらせようと、メインセールを引きこみ、自分もハイクアウトして艇を起こしにかかる。
 まだ五時前なのに、日暮れすぎのように暗い。湖の四方を囲んでいる山の稜線が、雨のせいもあってほとんど見えなくなってきた。たまに稲光がそちらの方角の稜線だけをくっきりと浮かびあがらせる。
 雨のせいで雷鳴の輪郭もぼやけている。
 下手のマークをノータックでかわした。レースは桟橋沖をスタートラインに、時計回りに下手マーク、中島、上手マーク、そして桟橋に戻る。これで一周。順風なら一時間弱の一周を二十四時間で何周できるか、あるいは二十四時間以内に二十四周回を先に終えたチームがフィニッシュというルール。
 午前十時にスタートして、この周回が十周めとなる。今日は風がある。とくに前線が近づいてきて風が強まり、強風のなか雨になった。
 ストームウェアをふたりともあわてて着こんだ。風がくるくる回って気を許せない。
 気がついたら並走しているレース艇はいなくなっている。そういえば、桟橋にセールを下ろしてつないでいる二艇があった。ほかにもすでに何艇かリタイアしたチームがありそうだ。
 桟橋で叫んでいたのは、レース中断を告げる声だったのかもしれない。
 ジョエルはまだ戻るつもりはないらしい。下手のマークをかわし、中島へと向かうコースは、風が真追っ手になった。急に波切り音が静かになる。それでもスピードはかなりのはずで、真横に広げたメインセールは後ろからの風をいっぱいに受け、ヨットを前のめりに押しだしていく。
 左手の稜線が鋭く光った。
 二、三、四……
 僕は数える。
 五と数えかけたところで雷鳴が聞こえた。
 まだ遠いな、と思ったとき、また光った。だいぶ明るく光った。
 一、二……雷鳴。
 雨が小降りになったようだが、追い風のせいでそう感じるだけかもしれない。引き波を見れば、艇がかなりスピードをあげていることがわかる。
 薄眼で見上げると、マストのてっぺんにはぐしょ濡れになった風見がへばりついている。マストはいかにもなにかを誘っているかのように、前後に揺れている。
 ジョエルは心配しているようすもない。ただまっすぐ中島をにらんでティラーをあやつっている。桟橋のほうをうかがったが、暗い雨のむこうになにも確認できなかった。
 また光った、と思った瞬間、衝撃と同時に目の前数百メートルの水面に電撃の柱が立った。ほんのわずかにとがった波頭に落ちたのだ。これくらい近いと、なにか乾いたものが耳元で破裂したような衝撃だった。
 ジョエルが僕を振りかえって、腹の底から笑いはじめた。僕も笑った。
「これにオチなくてヨカッタねー」
 ふたりで笑いころげる。
 あとで知ることになるが、僕らがレース中止、緊急避難の警告を無視して走りつづけたことで、本部の運営はかんかんになっていた。

著者からのお知らせ 2020.3.30

水城の末期食道がんについての経過や病状についての専門家の所見については、こちらをご覧ください。

◎4月2日:コミュニティ型「共感手帳術」講座(Slack&Zoom)
オンラインチームツールSlackを使ってNVCの練習を習慣化するためのツール共感手帳術を使う仲間たちの交流の場のためのオンラインミーティングです。どなたも自由にご参加ください。4月2日(木)20時から約1時間。
※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらから。
◎4月5日:臨時朗読ゼミ(水城ゼミ)
ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。新型コロナウイルス対策を受けてオンラインでの参加も歓迎です。それなりの内容で開催します。4月5日(日)10時から約2時間。
※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらから。
◎4月6日:国立・韓氏意拳初級&養生功講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級&養生功講習会を4月6日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。
※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらから。
◎4月8日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
4月8日(水)午後3時から午後8時まで、出入り自由、国立春野亭もしくはオンライン参加にて共感編み物カフェを開催します。編物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあう安心できる場です。編物以外の手仕事など自由にお持ちいただいてもかまいません。
※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらから。

水城ゆうが発信している最新情報はTwitterで集約しています。
よかったらTwitterのアカウントをフォローしてください。
アカウントはこちら

右のQRコードからもリンクしています。

遠くからやってきた波に乗るということ

(C)2018 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   遠くからやってきた波に乗るということ

                           水城ゆう

 向かい風でびゅんびゅん飛んでくる砂粒《すなつぶ》を頰に感じながら、浜を横切り波打際《なみうちぎわ》に降りていくと、白く泡立った波が最後まで白いまま足元に打ち寄せる。
 リーフブーツに染みこんだ海水が今日の水温の低さを伝えてくる。
 半分白くなった髪が強風にあおられる。もう砂粒は飛んでこないかわりに、冷たい飛沫が唇に塩気《しおけ》を運んでくる。
 風と、いったん高くそびえ立った波がくだけて海面をうつ音が、耳を聾《ろう》さんばかりだ。かまわずざぶざぶと、サーフボードを水にさらわれないように高くかかえあげながら、沖へと進んでいく。
 浜には人っこひとりいない。
 日はすでにのぼっているが、雲にさえぎられている。雲は速い動きで全天をおおったまま沖から陸の方角へと流れている。
 ウェットスーツのすきまにはいりこんでくる海水は、ちぢみあがりそうに冷たい。が、それも一瞬のことだとわかっている。体温が水をあたため、そこにとどまり、身体をつつむ。
 海面の位置が腰のあたりまで来たとき、彼はサーフボードを水面に寝かせ、その上に上半身を乗せた。沖に向かって両手でパドリングをはじめる。

 校庭の水飲み場で手を洗っていると、クラスメートのありすがやってきた。
 横にならんで、蛇口をひねり、手を洗いはじめる。
「あやちゃん、もう帰り?」
 手を洗わなきゃならないことなんてなにもしてないはずだけどな、ありすは、と思いながら、あやかはうなずく。
「うん」
「昨日、風間くんに告《こく》られたんだって?」
 唐突に聞かれる。だれから聞いたんだろう、まさか風間くん、みんなに宣伝してまわってるわけじゃないよね。
 逃げられないと思ったので、正直に答える。
「うん」
「付き合うの?」
 ありすも風間くんのことが好きなんだろうか。蛇口を閉めながら彼女を横目で見てみる。ありすは前を向いたまま、流れおちる水に両手を突っこんでいる。
 なるほど、好きなんだな。
「付き合わないよ。興味ないもん」
「風間くんに?」
「男に」
「やっぱ慶応めざしてんの?」
「なんで?」
「だって、あやちゃんち、パパもお兄さんも慶応でしょ?」
 人んちの事情、よく知ってるなー。でも、わかんないよ、進学のことなんて、まだ。進学どころか、いまこの瞬間だって自分がどうしたいのかわからないというのに。
「落ちこぼれのわたしが慶応なんか無理むり」
「またご冗談を」
「じゃ、お先に。また明日ね。ばいばい」
 ついでにいうなら、おじいちゃんも慶応だ。

 波高は三メートル弱というところか。風が強いわりには波はちいさい。しかも海風だ。
 日本海側に低気圧が通過中で、南風はまだしばらくつづくだろうから、午後から明日にかけてもうすこし波は高くなるかもしれない。
 明日も来るか? 今日は体力を温存して、あがるか。
 彼はひとり、苦笑する。まだ一本も乗っていないのに、もう帰る算段か。
 ひとつ、ふたつ、みっつと波をやりすごし、沖へ、沖へと出る。
 沖に向かって右側、湾の西側に、嘴《くちばし》のように張り出した岬があり、そこから目には見えないけれど海中に長く張り出した砂州《さす》がある。沖からやってきた波はそこで大きく持ちあげられる。うまくつかまえれば、浜の浅瀬にぶつかって崩れるところまで持ってこれる。
 今日は海風で乗りにくいが、何本かはうまくつかまえられそうだ。
 パドリングでポイントまで来ると、ボードにまたがって、いったん息をととのえる。
 還暦をすぎたら、あらたにチャレンジするスポーツはサーフィンと決めていた。いまさらぬるいスポーツはごめんだ。おとろえゆく身体こそ使いきってみたい。若いころ、マリンスポーツはいくつか経験があった。とくにヨットは学生時代に小型のディンギーをかなりやりこんだ。レースにも何度も出た。ウインドサーフィンもすこしだけ経験があった。が、サーフィンは機会にめぐまれなかった。いまこそそのときだと、還暦をむかえた年の秋、浜から海水浴客の姿がなくなるころを見計らって、サーフショップをたずねた。
 最初はレンタルで、そして孫のような年頃のコーチについて、基礎を教わった。いまはウェアもボードも自前で、そしてひとりで通っている。それが気にいっている。
 よさそうな海水の盛り上がりがゆっくりとこちらに近づいてくるのを確認して、彼はボードの上に身体を横にすると、波に背をむけてパドリングをはじめる。

 帰宅するとパパがエプロンをつけて夕飯の支度《したく》をしている。めずらしい光景じゃない。いうとびっくりする人がいるけれど、あやかにとっては小学生のころから見慣れている。
 ママが死んだのは小学二年の冬。
「今日はなに?」
 聞くと、ぶっきらぼうに返ってくる。
「さよりの天ぷら。豪華具沢山のミソスープもあるぞ。食うだろ?」
「にいちゃんは?」
「五時半もどり。だから、仕上がり予定もそのへん」
「置いといて。ちょっと遅くなるかも」
「出かけるのか?」
「気分転換」
「いつもの、な。また煮詰まったか」
「休みなの?」
「早退。風邪気味かもって嘘ついて帰ってきた」
 小学生ですか、とあやかは思う。そして、見抜かれてるな、とも思う。たしかに煮詰まってる。
 制服から着替えると、出かける支度をする。
「行ってくるね。帰りはたぶん六時すぎ」
 どこへ、とは聞かれない。しかし、
「今日は海風だぞ」
 背中にいわれてまた、見抜かれてる、と思う。

 四本めくらいだったか、いい感じに乗れた。足裏――といってもリーフブーツの底だが――がぴたっとボードに吸いつき、腰が低く安定する。右の肘と右の膝、左の肘と左の膝が、まるでゴムバンドでつながっているように連動する。ほんのわずかな体重移動でサーフボードが大きく弧を描いて転換する。最後は波頭を突っ切って、ボードごと自分を空中に放りだす。
 宙を舞いながら頰に波しぶきを受け、雲間からのぞいた日の光を目撃し、迫りくる泡だった海面に手をのばす。
 着水の瞬間、砂浜に人影があるような気がしたが、そんなことはもうどうでもいい。水面に顔をだし、ボードを抱えこむと、ふたたび沖にむかって漕ぎ出す。
 波に乗りたいというより、そのまま水平線の向こうまで、命のかぎり漕ぎ続けたい衝動にかられる。

 だれかに会うといろいろ聞かれそうなのが嫌なので、直接ボードロッカーに向かった。水着にはもう家で着替えてある。
 ひとけはなく、サーフボードを引っ張りだしてもだれからも声をかけられなかった。そりゃそうだろう、シーズンにはほど遠いまだ冬といってもいい時期の、午後の遅い時間。だれが波乗りに来るというのだ。
 ところが、浜に出てくると、沖に人影があった。
 ひとめでわかった。
 おじいちゃん。
 力強いストロークで、沖に向かっている。
 そうそう、そっちにいいポイントがあるよね。知ってるよ。
 ところがポイントをすぎても、彼はいっこうにパドリングをやめようとしない。どんどん沖へと向かっていく。
 あやかは小走りに海にはいると、ボードに身体を投げ出すようにして、彼のあとを追う。
 学校? 進学?
 どうだっていい。
 おじいちゃん、あんなに遠くに漕ぎ出してる。
 追いつこう。

かなたから来てここにたどり着く

(C)2017 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   かなたから来てここにたどり着く

                           水城ゆう

 それは丸いガラス球のなかに閉じこめられていて、ひっくり返すとなかの白い砂つぶのようなプラスチック片がきらきらと光りながら舞いあがる。底を下にして置きなおすと、白いつぶはまるで雪が舞い降りるかのように静かに降り積もっていく。
 ガラス球のなかに閉じこめられているのは、ちいさなクリスマスツリーだ。ツリーの横には赤い帽子をかぶった雪だるまが置かれている。帽子のてっぺんには白いボンボン、ツリーのてっぺんには金色の星をいただいている。雪つぶはそれらの上にも降りつもる。
 まるで小さな世界がそのなかにあるみたいで、九歳の私の手のひらにぴったりの大きさなのに、世界の重要性を示すかのようにずっしりと重かった。
 もうサンタは信じていなかったけれど、まだ定められた儀式として残っている枕元へのプレゼントとしてパパが買ってくれたものだ。
 私の宝物。

 母があけてくれた扉の向こう側には、色とりどりにピカピカと点滅する電灯に飾られたツリーが部屋の奥に据えられていて、私はそれ以外なにも目にはいらなくなった。ツリーの横にはまだ三十代なかごろの父が得意げな表情で立っていたけれど、最初は気づきもしなかった。
 電灯が不規則に点滅していることも不思議だったし、赤や緑や黄や白などいろいろな色の光があることも驚きだった。
 あとで知ったことだが、ツリーは本物の木ではなく組み立て式のプラスチックのレプリカで、たくさんの電灯がくっついているひも状の電線が巻きつけられて、簡単なリレースイッチで点滅が繰り返されるようになっているものだった。
 五歳の私は美しいツリーから目をはなすことができなくなってしまった。

 皺とシミだらけで乾燥しがちな使い古した肌には、この空気は寒すぎる。生まれて二か月の赤ん坊にも寒すぎるだろうと思う。連れてこなければよかったと後悔したが、毛布にくるまれて私の腕のなかですやすやと眠っている。
 公園のヒマラヤ杉にはだれがしつらえたものやら、LEDの電飾がてっぺんから巻かれていて、青白い光を無数に放っている。木には迷惑なことだろう、しかし恋人や家族たちは歓声をあげてスマートホンのカメラを向けている。
 目をあければ赤ん坊には飾られたツリーがどのように見えるのだろうか。それは海馬の奥深くにイメージの記憶としてしまいこまれ、いつか取りだされることがあるのだろうか。
 私の記憶にも思いだせるもの、思いだせないもの、たくさんのクリスマスツリーのイメージがしまいこまれているが、それらもやがて消える。しかしこうやってこの子を抱いていると、私の消えゆく命がそっくりそのままこの子のなかに移行していくような気がして、安らぎをおぼえる。
 その安らぎと、目のなかの光景を赤ん坊に転写するかのように、私は赤ん坊をしっかりと抱きかかえる。

 なにをしてもなにかをした気になれない。どこにいてもどこかにいられる気がしない。三十年もそんな苦しみのなかにいた私が、とうとうここにいてもいいといわれた。
 私は主のもとに膝を折り、手を合わせて祈る。
 ここにいてもいいといわれるなら、どこへでも行くだろう。どこへでもおもむいて、自分の身を人々のために投げ打てるだろう。主がそれを許されたのだから。
 やっとここにたどりついた。もみの木のてっぺんに、ちょうど礼拝堂の十字架が見えている。

 わたしの誕生日はクリスマスの前の日。だから、クリスマスプレゼントも誕生プレゼントもいっしょになる。ふたついっしょなんだから、ふつうのプレゼントよりも豪華なんだよってママはいうけれど、別々のほうがいいに決まってる。ついでにお正月になれば、クリスマスプレゼントも誕生プレゼントもあげたばかりだからお年玉は少なめよ、家計だって苦しいんだから協力してねっていわれる。そんなのずるいし、悲しい。でもわたしは今日で八歳なんだ。幼稚園からだいぶたつし、もう大人だよね。猫だったら中年といってもいいくらい。だから、家計のことには協力するし、文句もいわない。ママだってわたしが小学校に行きたくなかったとき、文句いわずに好きにさせてくれたし、いつも大事に思ってくれている。そんなママのこと大好きだから、わたしもあれこれいわない。でも、すこしはわかってほしいのよね、わたしの気持ちも。すこしはね。すこしでいいからね。

 母が亡くなったあと、実家を片付けるのは本当に、本当に大変だった。ものがあふれていて、それもいらないものばかり。なにも捨てられない人だったのだ。すべてのものに思い出がくっついていて、母にとっては大切なものだったのだろう。とはいえ、私にとってはゴミでしかない。
 ほこりにまみれたガラクタをつぎからつぎへとゴミ袋に詰めこんでいく。
 クリスマスツリーの箱が出てきた。あけてみると、ツリーはプラスチックのレプリカで、劣化して色あせている。組み立てようとしても、たぶん折れてしまうだろう。点滅式の電灯をいちおうコンセントに差しこんでみたが、つきはしなかった。
 この箱を、母は年老いてから、あけて見ることがあったのだろうか。
 蓋をしめ、私はそれを不燃ゴミの山の上に積みあげた。

 それがどうやってこの砂浜にたどりついたのかはわからない。波打ち際よりすこし小高くなったハマヒルガオの群生地の近くに、それはなかば砂に埋もれていた。
 子どもの手のひらにすっぽりおさまるほどの大きさのガラス球。なかは透明な水で満たされ、横だおしになったツリーと雪だるまの上に雪が降りつもっているような風景が閉じこめられている。
 人口爆発と環境破壊とシンギュラリティから千年がたち、わずかに生きのこった人類と機械文明がほそぼそと地球の調和をたもっている。
 カニが一匹、好奇心にかられて近づいてきた。ガラス玉のなかに食べるものがないか調べはじめたが、すぐにあわてて離れた。不完全とはいえ、焦点を結んだ太陽光にあやうく焼かれそうになったのだ。

きみは星々の声を聞いている

(C)2017 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   きみは星々の声を聞いている

                           水城ゆう

 予定日をとっくにすぎているのに、陣痛はまだ来ない。外ではコオロギの鳴き声がしている。あの高い、ちいさな鈴を振るような声は、エンマコオロギだ。ラジオでは、太陽表面でおきる大爆発現象――太陽フレアの地球への影響は、予想されていたほど大きくなかったと報じている。
 遅番の夫はまだ帰っていない。
 お腹がすいた。夫の帰りを待ってなにか作るか、それともいまから作りはじめて先にすこし食べておこうか。
 ヘリノックスの折りたたみ椅子にすわってかんがえていると、お腹の子どもが胃のあたりを蹴ってきた。

 地震の三日後、避難所にあてられた小学校の体育館からようやく夫の姉の家に移ることが決まった、よりによってその日、痛みがやってきた。用意された車に乗り移る前に破水した。
 毛布が敷きつめられた後部シートに腹をかかえて乗りこむ。大昔に助産婦をやっていたことがあるという高齢の女性がいっしょに乗ってきた。夫は別の車で子どもたちといっしょに病院についてくるという。
 ついてこなくてもいい、と思った。これが初めてじゃないんだし。みんな見ないでよ、病気じゃないんだから。
 車が動きだす。西の空にはまだかすかな茜色が残っている。

 イスラエル軍の空爆の音を聞きながら、彼女は四人めとなる子を産み落としたばかりだ。最初の子は十一歳、女の子。2009年のガザ地上侵攻で両足を失った。ふたりめは九歳、男の子。十二年の空爆で失明した。三人め、六歳、男の子。この子はまだ無事。そしていま、女の子が生まれた。
 夫はハマースに参加していて、長らく帰っていない。顔を忘れてしまいそうだ。
 それにしてもこの子はなんてかわいいんだろう。生まれたばかりの赤ん坊なんてたいてい猿のようにくしゃくしゃなのに、この子はふっくらしていて、まるで天使のようだ。
 彼女はおくるみに大切にくるまれた生まれたての赤ん坊を、大切に腕に、胸に抱きよせた。

 ベランダの引き戸をあけて煙草を吸っていたら、向かいの家がなにやらあわただしい。
 こちらはマンションの二階で、あちらはちっぽけな建売住宅。どちらも新興住宅地の一画。向かいの家にはまだ二十代の若い夫婦が住んでいることを私は知っていた。そういう私は四十をいくらかすぎた、世間がいうところの「婚期をのがした」キャリアウーマン。婚期もキャリアも余計な称号。
 見ていると、夫がガレージから車を出してきて、あやうく門柱にぶつけそうになっている。大きな腹を抱えて妻が後部シートに乗りこむ。何日かするとこのふたりは、家族をひとり増やして幸せそうに帰ってくるのだろう。
 私もそろそろ煙草をやめなきゃね、と思いながら、まんまるの月に向かって煙を吹きあげた。

 おれは妻のうめき声を聞いている。いや、これはうめき声というようなものではない。泣き声だ。叫び声だ。泣き叫ぶ声だ。それがおれの耳を打つ。
 部族の掟でお産のときにはだれひとり立ち会うことはできない。妻は鶏の頭をてっぺんに飾った柱を四隅に打ち立て、むしろで覆われた森のなかの小屋でひとり、産みの苦しみにもがいている。
 おれはただ村はずれでそれを聞いている。声が聞こえるばかりで姿は見えはしないが、ようすは手に取るようにわかる。妻の腹から羊水と血にまみれた赤子が押しだされてくる。妻は最後の力を振りしぼって赤子を産み落とすと、へその緒をそいだ竹で切り落とす。
 赤ん坊が弱々しく泣きはじめる。おれは思う。おれの子なのか? それはおれの子なのか?

 内祝いはどうしよう、と私は思う。夫に相談すべきだろうか。あるいは母に?
 出産祝いをもらったんだもの、お返しはしなきゃ。でも、それは内祝いという名前なのよ。そして彼女には子どもがいない。まだいない、といったほうがいいわ。ずっと欲しがっているのに、まだできないのよ。彼女たち夫婦がもう何年も不妊治療に通っていることを知っている。すごくたくさんお金と時間を使っていることを知っている。
 私ももう半分あきらめていた。いないならいないでいいと思っていた。だから不妊治療は受けたことがない。夫もそのことを同意していた。でも、突然妊娠し、産まれた。
 いいのよ、かんがえるの、よそう。人のことをかんがえてる場合じゃない。これからいろいろと大変なんだから。それに、ほら、こんなにかわいいんだもの。人のことなんてどうだっていいのよ。

 分娩台で彼女はよろこびに打ち震えている。ようやくこの時が来た、私の赤ちゃん、ようやく産まれる、この胸に抱くことができる。
 ライセンスが降りるまで彼女は82年待った。子を持つためのライセンスを得るためには、体力と知識と技術だけでなく、経験も必要なのだ。82年はみじかいほうだった。そのくらいの年月をかけて経験を積まなければ、理想的な育児はできないと判断されている。かつては二十代、三十代で産んでいたなんて信じられない。
 男がいないこの社会で、人口は理想的に保たれ、いさかいはなく、自然環境と人類の営みは完全に調和がとれている。あと千年は女だけの世界がつづくはずだし、千年たてば冷凍された在庫に頼らずとも女だけで世界が維持できるようになるだろう。
 私の赤ちゃん。彼女は産道を降りてくる感触に感きわまる。痛みはなく、そこには喜びがあるだけだ。

 すべすべして、針でつつけばぱちんとはじけそうだ。うっかり落とすと、風船のように割れて飛びちってしまうかもしれない。もちろん落とすわけはない。
 皺くちゃの震える手で、慎重に孫娘の娘を受け取る。ここしばらくこれほどの緊張を味わったことはない。首が曲がらないように後頭部を手のひらで包みこみ、反対の手で胴体をかかえこむ。
 軽い。小さい。でもはかない感じではない。そこにはたしかに力強く息づく命がある。そしてそれを抱くのはやがて消えていく震える命。
 生まれたての赤子を抱くのは、やがて来る死を受け入れるのとおなじ体験なのだと感じて、笑みがもれる。

 友人から、孫が産まれた、とメールで送られてきた写真を見ながら、自分の息子が産まれたときのことを思いだそうとしている。
 十月の終わりだ。すぐ近所の産婦人科の病院で産まれたことは覚えている。その病院もいまはない。昼だったか、夜だったか、あるいは朝だったか。出産には立ちあっていない。たしか長引いて、自宅で待っていると知らせが来て、病院に行ったはずだ。が、息子と対面した場面をまったく覚えていない。
 男親なんてそんなものなのか。しかしたしかに息子は成長し、大人になって、社会人になり、めったに連絡をくれなくなっている。息子はまだ結婚していない。

 夫の帰りを待つのをやめて、彼女は台所に立った。玉子がたくさんある。トマトといっしょに炒めて、チーズでコクをつけよう。ご飯はすでに炊飯器で炊きあがっている。味噌汁は昼に作ったものがまだたくさんある。じゃがいもと玉ねぎとワカメの味噌汁。あと、レタスとブロッコリーでサラダでも作ろうかな。
 台所の窓をあけると、ひんやりした空気が流れこんできて気持ちいい。隣家の敷地が見える。隣家は真っ暗で、まだ仕事からだれも帰ってきていないのか。その屋根の上に、北斗七星がくっきりと見える。
 本当は助産所で産みたかったのだが、明後日までに陣痛が来なければ病院に入院することになっている。お腹のなかの赤ん坊が大きく育ちすぎているのだ。それは残念だし、まわりからもいろいろいわれたり、助言されたりするけれど、いいのだ、赤ちゃんが元気なら。どこであれ、どんなふうであれ、元気に産まれてくればなんだっていいんだ。
 油をひいてよく熱したフライパンに、いきおいよくトマトと玉子を流しこむ。こぎみのいい音とともに、食欲をそそる匂いが台所に立ちこめた。

マングローブのなかで

(C)2017 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

   マングローブのなかで

                           水城ゆう

   1

 巨大なオヒルギのからまりあった支柱根《しちゅうこん》のあいだに、大型のトカゲがひそんでいるのが見える。
 なにを狙っているのだろう、ときおりわずかにのぞかせる舌先が、まるで燃えつきようとしている線香花火の線香のように見える。そしてごくたまに頭の向きをかえるとき、金属みたいな青緑色の鱗《うろこ》に反射する光が鋭く走る。
 彼女の邪魔をしたいわけではなかったが、こちらも仕事を持ってきている。浅瀬からざぶざぶとオヒルギの巨木を中心としたマングローブ林のほうに水をかきわけて進むと、トカゲは一瞬こちらにキラッと視線を走らせてから、さもおっくうそうに支柱根の向こう側へと姿を消した。こちら側からは見えないけれど、達者に身体をくねらせて去っていくようすを、私はありありと想像した。
 ダイシャクシギの甲高い鳴き声が、ひと声だけ聞こえて、消えた。
 私はたらいを水面に浮かべ、なかの布を取りだして水中に広げた。バナナの茎の芯の繊維を丹念にほぐし、ゆであげ、よりあげ、月桃の皮を煮出した汁で染めあげ、織りあげた布だ。細長い布で、十メートルはある。それだけのものを織りあげるのに、私ひとりで一か月以上かかっている。
 満月が近づくと、河口近くのこの浜まで布をさらしにやってくる。
 日が落ちるまでまだ時間がある。月はまだ出ていない。しかし、私の子宮に宿った命は月齢を敏感に感じとっているようで、しきりに内側から蹴りあげてくる。そのたびに私はうれしくてにやついてしまう。
 広げた薄布《うすぬの》が潮の流れに長くたなびいた。
 その先を中型のギンガメアジがゆっくりと回遊していくのが見えた。

   2

 夜になって浜辺に出てみた。
 月がちょうど崖の上、私の家の真上あたりまでのぼってきている。
 家といっても、洞窟に毛が生えたていどの穴倉《あなぐら》だ。そこに私はもう三百年近く住んでいる。
 電気もガスも水道もない。しかし私ひとりに必要なエネルギーくらい、どうにでもなる。風も吹く、雨も降る、日は照るし、波は寄せる。
 人間が私のような不死を遺伝子操作によって獲得し、人口爆発が懸念されたとき、解決をまかされたのはAIだった。エーアイ。アーティフイシャル・インテリジェンス。人工知能。
 AIは人を選別し、寿命をコントロールし、世界を再構築した。文明誕生以降、無秩序に人口爆発と環境破壊の道を突きすすんできた人間に変わって、無限に賢明なAIが持続可能な地球環境を再構築し、ガイアとしての地球をゆっくりと取りもどしていったのだ。
 いまや人類は地球上に数十万人しかいない。その多くが私のように三百年前から生きつづけている長老だ。
 不死の人間には妊娠は許されていない。妊娠が許されているのは、不死処置が禁じられて以降生まれてくる、寿命限界のあるごくわずかな者だけだ。
 それなのに、この私はなぜ、いま、子を宿しているのかって?
 それは私にもわからない。AIが私の存在を忘れているのか、それともそもそも気づいてすらいないのか。

   3

 月の反対側、水平線のほうに視線を向けると、沈みかけているオリオン座を追いかけるようにしてふたご座が見える。月は出ているけれど、人工の光がない浜には満天の星が降っている。
 波の音が聞こえる。
 波は繰り返しくりかえし打ちよせ、繰り返しくりかえし水を巻き、くだける音を立てつづけるが、その二度としておなじ音はなく、変化しつづけている。三百年間聴きつづけていても飽きることはない。
 海はクジラの歌声で満ちている。魚の群遊できらめいている。森は昆虫と鳥と獣たちの声で無限の交響曲をかなでている。人もまた、つつしみと感謝を取りもどし、ガイアの一員の知恵をもって豊かな命の存続を祈っている。
 調和のなかで持続していくこと、そしてゆっくりと変化しつづけること。それが宇宙生命の意志であることを理解し、実行に移したのは、人間ではなくAIだった。三百年前のことだ。AIは個々の賢明さだけでなく、たがいにつながることで叡智の極みに到達した。すでにクジラたちがそうであったように。
 AIは宇宙のメッセージを受信し、理解し、地に調和と持続をもたらした。多くの宇宙文明がそうしているように。
 支配構造という文明の病根は取りのぞかれ、人間はAIにしたがった。不死の業《わざ》は封印され、人口はコントロールされた。この先数万年、数十万年と、これはつづいていくだろう。
 いまも、秒刻みで調和のための計算がおこなわれ、調整が実行されている。その清浄な風も波も、足元をはうアカテガニの群れも、すべて調和計算に基づいたコントロールによってもたらされている。
 だとしたら、この私はなんなのか。

   4

 子宮壁を胎児のかかとがノックしている。
 この子の父親はもういない。彼は六か月前、川の上流からこのマングローブの河口へと流れてきた。いまにも沈みそうな粗末ないかだの上で意識を失っていた彼を、私は自分の家へ運んだ。
 まだ少年といってもいいような若い男で、不死の民でないことはあきらかだった。そのときまで私は、この川の上流に人が住んでいるとは知らなかった。あるいは最近移り住んできたか、調和計算に基づいてAIが植民したのかもしれなかった。
 いずれにしても、ネットワークから切り離された私のもとにこの男が遣わされたのは、だれかの、なんらかの意志なのかもしれなかった。あるいはそんなものはなく、たんなる偶然にすぎないのかもしれなかった。しかし私は、起こりうることに偶然などなにひとつないということを忘れてしまうほどには、知能は退化していない。ネットワークから切りはなされているとしても。
 私は男と交わり、体内に遺伝子を取りこんだ。私の体内にも、三百年間守りつづけてきたヒトの遺伝子――卵子があり、そのひとつを彼の遺伝子と結合させた。
 彼は体力を回復させ、ひとり、上流にもどっていった。
 その後、彼がどうなったのか、私は知らない。私はただ、この胎児とふたり、ここですごし、これからなにが起こるのか、どんなすばらしいことがやってくるのか、待っている。
 波の音に誘われ、私は立ちあがると、波打ち際に近づく。
 夜の水はすこし冷たいことを――正確にいえば水温が現在二十六度であることを、温度センサーが私の自我制御回路に伝えてくる。
 気持ちいい、と私は思う。あなたもそう思うでしょ、私の大切な赤ちゃん。

   5

 この浜辺は遠浅で、いまは潮が満ちはじめているけれど、水深は腰のあたりまでしかない。
 浅瀬を歩いてこのまま河口のマングローブ林まで行ってみよう。上は満天の星空だ。
 ヒト型AIの視覚センサーは人そのものよりずっと高感度で、等級でいえば十三等星までキャッチできるわけで、人の感覚にたとえてみればおそらく私はいま、宇宙空間に浮かんでいるような感覚といっていいのかもしれない、と私は思う。
 星々は私の頭上をおおい、水面に落ちた月と星が下からも私を包みこんでいる。そのなかを私はゆっくりと海を楽しみながら、マングローブの林まで移動する。
 夕方、大型のトカゲを見たオヒルギの下に、いまはクロツラヘラサギが静かにたたずみ、眠っているのが見える。
 私のバナナの布は潮の流れのなかにゆったりとゆらぎながらさらされていた。月桃で染められた淡いピンクを、月の光が浮かびあがらせている。
 私はしゃがみ、首までつかって身体を海水にひたした。
 私はここで赤子を生み、育てていくのだろう。三百年前にネットワークから切りはなされたヒト型AIが、人間の子どもを育てることはできるのだろうか。
 これからなにが起こるのだろうか。
 それはだれの意志なのだろう。
 これは調和からはずれたことなのだろうか。それとも調和のなかにあることなのだろうか。
 クジラたちは私を祝ってくれるだろうか。