ファラオの墓の秘密の間

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   ファラオの墓の秘密の間

                           水城ゆう

 外気の侵入を完全に遮断するためのシールドで覆われた開口部をくぐり抜けると、すでに送りこまれていたロボットの照明で内部はくまなく照らされていた。
 明るすぎる。いや、これでも暗いのか?
 明暗の感覚が狂っている。
 影の部分にまで陽光がまわりこむかのようなギザの砂漠の強烈な日差し。そこから闇に閉ざされた大回廊と王の間を通り、ミューオン透視によってあらたに発見された秘密の間へ。ロボットの照明が昼より明るいように感じるのは、極端な差異がもたらす錯覚か。
 ほとんど宇宙服に近い完全装備の防護服に身をかためた我々は、秘密の間の奥へ慎重に歩を進めた。ロボットによる事前調査で、すでに驚くべき副葬品の数々が確認されていたが、あらためて直接目にすると、心臓が締めつけられような歓喜に包まれる。
 すでにロボットアームによって蓋が取りはずされている石棺のまわりに、我々は静かに集合した。四千五百年間眠りつづけた王の遺体をのぞきこむ。
 当然我々は王の遺体にはツタンカーメンのような黄金のマスクが装着されているものと予想していた。ところが、クフ王は素顔のままそこに横たわっていた。ただし、頭部には帽子がかぶされている。
 その帽子はどう見ても日本の麦わら帽子だった。
 そう、子どもが夏の海辺でかぶるあれ。大人が炎天下の草むしりでかぶるあれ。そんなものがなぜこんなところに……
 声もなく呆然と立ちつくす日本チームを、フランスチームは不思議そうな顔をしてながめている。

南へ

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   南へ

                           水城ゆう

 夕暮れになってバッテリーがこころもとなくなった。速力を半分に落とし、抵抗を減らす。とたんにボートがかきわける水音が消え、静寂が強調される。
 とはいえなにも音がないわけではない。先ほどの夕立(スコール)の名残りを葉にためている木々から、絶え間ない水滴が水面に落ちている。姿は見えないが、ときおりサギの鳴き声が森の奥から聞こえる。
 ヒロハシサギだな、とフルヤは反射的に判断する。中米を生息地とする鳥がここにいる理由は別として。
 しかし、彼の専門はヒルギなどに着生する熱帯ランの植生だ。
 すでに汽水域だが、このあたりはまだ塩分濃度が低い。さらに南へくだり塩分濃度が高まると、呼吸が重くなるように感じる。
 フルヤは暮れはじめた空を見あげて思う。もうひと雨来そうだ。西の空はピンクに近い紫に染められている。手前にスカイツリーが湿度のなかにくすんで黒々と浮かびあがっている。
 今夜はこのままどこかに係留し、明日も調査を続行する。ちょうどこのあたり、かつての江戸川の真上で、市川の高層マンション群が東にある。水位は四階あたりまであるが、着艇して上層階に行ければ湿った衣類を乾かすことができるだろう。
 あたりをつけてマンションのひとつに船首を向けた。おそらく京葉道路かなにか、苗床にしてヒルギが長々とマングローブ帯を作っている。海面上昇前は石垣島以南にしか生育しなかったニッパヤシも、帯状のところどころで林になっているのが見える。
 マングローブの脇をゆっくりと進めると、ヒルギモドキの枝のいくつかからフウランの一種が白い花をつけて垂れさがっているのが確認できた。花穂のシルエットがあまり見慣れたものではない。新種かもしれない。明朝確認しようと、フルヤは位置を頭に刻みこんだ。
 マンション北側の非常階段に調査用のゴムボートを横着けした。手を伸ばせばちょうど五階部分の階段の手すりに届く。が、金属もコンクリートもボロボロに腐食していて、ボートを係留するには危険だ。もやい綱をにぎって、ひょいと手すりのすきまから踊り場に立った。奥のほうにもうすこししっかりともやい綱を固定できるなにかがあるだろう。
 踊り場から振りかえると、半分水没して夕闇に溶けこみかけているトーキョーのシルエットがあった。ヒロハシサギが一羽、大きな嘴を突きだし、ゆっくりと水面を渡っていくのが見える。
 明日はもっと南へ、フルヤの脳裏をそんなことばがよぎる。

アルチュール

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   アルチュール

                           水城ゆう

 もたもたとお茶をいれるその手際のわるさに、私はいつものようにいらだってしまう。二a型の学習アルゴリズムに問題があることは承知の上で彼を購入したのだが、茶を所望したときはそれを後悔する。
「いったでしょう、アルチュール。茶葉は倍以上使って濃くしないと飲めたものじゃないって。そんなふうにとろとろいれない! 冷やすときは一気に氷に注ぐのよ」
 私のとげのある口調に彼はびくっとなり、さらに動作が鈍くなる。その感情反射アルゴリズムは頭の悪いパブロフの犬のようだ。
 いつまでもそんな風だと廃棄だからね。いつも思うこれは口に出さない。そのかわり彼に注文を出す。
「なにか詠んでちょうだい、アルチュール。なんでもいいけど……そうね、テーマは紅茶で」
 彼は一瞬かんがえ、すぐに口を開いた。
 そんなときはよどみない。しかも私のためにアイスティーを運んでくる動作もまったくとどこおりなく。

 おれの魂は琥珀の酒
 ただれた溶岩を伝って
 冷たい世界の化石となる
 未来永劫ここから見張れ
 淫らな女どもを

 聴きながら私はいつわりの優越感にひたる。二a型のアンドロイドを所有する身分。とはいえその私も三d型という、いまや骨董品にちかい型式の人工知能搭載ヒューマノイドではあるのだが。

落雷

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   落雷

                           水城 雄

 中継地の桟橋沖を通過したとき、二、三の人影がこちらに向かって手を振り、なにかいっているのが見えたが、僕もジョエルもそれを無視して下手《しもて》のマークへと直進した。
 風はアビームからややのぼりぎみ。ときおりやってくるブローに合わせてハイクアウトし、艇のバランスをたもつ。つま先をフットベルトに引っかけ、尻はほとんどデッキの外にはみだすほど身体をそらす。船首が立てる波しぶきと、二十分ほど前から降りしきっている雨つぶが、眼をあけていられないほど顔面をたたく。
 ヨットはいま右舷開き《ポートタック》で走っている。風が左へと振れていく。これ以上振れると、マークまでのぼりきれなくなって、方向転換《タック》が必要になる。舵棒《ティラー》を握っているジョエルはぎりぎりまでのぼらせようと、メインセールを引きこみ、自分もハイクアウトして艇を起こしにかかる。
 まだ五時前なのに、日暮れすぎのように暗い。湖の四方を囲んでいる山の稜線が、雨のせいもあってほとんど見えなくなってきた。たまに稲光がそちらの方角の稜線だけをくっきりと浮かびあがらせる。
 雨のせいで雷鳴の輪郭もぼやけている。
 下手のマークをノータックでかわした。レースは桟橋沖をスタートラインに、時計回りに下手マーク、中島、上手マーク、そして桟橋に戻る。これで一周。順風なら一時間弱の一周を二十四時間で何周できるか、あるいは二十四時間以内に二十四周回を先に終えたチームがフィニッシュというルール。
 午前十時にスタートして、この周回が十周めとなる。今日は風がある。とくに前線が近づいてきて風が強まり、強風のなか雨になった。
 ストームウェアをふたりともあわてて着こんだ。風がくるくる回って気を許せない。
 気がついたら並走しているレース艇はいなくなっている。そういえば、桟橋にセールを下ろしてつないでいる二艇があった。ほかにもすでに何艇かリタイアしたチームがありそうだ。
 桟橋で叫んでいたのは、レース中断を告げる声だったのかもしれない。
 ジョエルはまだ戻るつもりはないらしい。下手のマークをかわし、中島へと向かうコースは、風が真追っ手になった。急に波切り音が静かになる。それでもスピードはかなりのはずで、真横に広げたメインセールは後ろからの風をいっぱいに受け、ヨットを前のめりに押しだしていく。
 左手の稜線が鋭く光った。
 二、三、四……
 僕は数える。
 五と数えかけたところで雷鳴が聞こえた。
 まだ遠いな、と思ったとき、また光った。だいぶ明るく光った。
 一、二……雷鳴。
 雨が小降りになったようだが、追い風のせいでそう感じるだけかもしれない。引き波を見れば、艇がかなりスピードをあげていることがわかる。
 薄眼で見上げると、マストのてっぺんにはぐしょ濡れになった風見がへばりついている。マストはいかにもなにかを誘っているかのように、前後に揺れている。
 ジョエルは心配しているようすもない。ただまっすぐ中島をにらんでティラーをあやつっている。桟橋のほうをうかがったが、暗い雨のむこうになにも確認できなかった。
 また光った、と思った瞬間、衝撃と同時に目の前数百メートルの水面に電撃の柱が立った。ほんのわずかにとがった波頭に落ちたのだ。これくらい近いと、なにか乾いたものが耳元で破裂したような衝撃だった。
 ジョエルが僕を振りかえって、腹の底から笑いはじめた。僕も笑った。
「これにオチなくてヨカッタねー」
 ふたりで笑いころげる。
 あとで知ることになるが、僕らがレース中止、緊急避難の警告を無視して走りつづけたことで、本部の運営はかんかんになっていた。

著者からのお知らせ 2018.8.14

8月16日(木)13時から国立・春野亭にて朗読表現公開レッスン講座(音楽演奏付き)を開催します。

長年、朗読演出と作品構成、ステージ共演にたずさわってきた水城雄がもっとも得意とする講座を、公開レッスン方式でおこなうものです。
個別に朗読演出をおこない、ピアノいっしょに練習したあと、最後にひとりずつピアノ共演で発表します。

詳細と申し込みはこちら

遠くからやってきた波に乗るということ

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   遠くからやってきた波に乗るということ

                           水城ゆう

 向かい風でびゅんびゅん飛んでくる砂粒《すなつぶ》を頰に感じながら、浜を横切り波打際《なみうちぎわ》に降りていくと、白く泡立った波が最後まで白いまま足元に打ち寄せる。
 リーフブーツに染みこんだ海水が今日の水温の低さを伝えてくる。
 半分白くなった髪が強風にあおられる。もう砂粒は飛んでこないかわりに、冷たい飛沫が唇に塩気《しおけ》を運んでくる。
 風と、いったん高くそびえ立った波がくだけて海面をうつ音が、耳を聾《ろう》さんばかりだ。かまわずざぶざぶと、サーフボードを水にさらわれないように高くかかえあげながら、沖へと進んでいく。
 浜には人っこひとりいない。
 日はすでにのぼっているが、雲にさえぎられている。雲は速い動きで全天をおおったまま沖から陸の方角へと流れている。
 ウェットスーツのすきまにはいりこんでくる海水は、ちぢみあがりそうに冷たい。が、それも一瞬のことだとわかっている。体温が水をあたため、そこにとどまり、身体をつつむ。
 海面の位置が腰のあたりまで来たとき、彼はサーフボードを水面に寝かせ、その上に上半身を乗せた。沖に向かって両手でパドリングをはじめる。

 校庭の水飲み場で手を洗っていると、クラスメートのありすがやってきた。
 横にならんで、蛇口をひねり、手を洗いはじめる。
「あやちゃん、もう帰り?」
 手を洗わなきゃならないことなんてなにもしてないはずだけどな、ありすは、と思いながら、あやかはうなずく。
「うん」
「昨日、風間くんに告《こく》られたんだって?」
 唐突に聞かれる。だれから聞いたんだろう、まさか風間くん、みんなに宣伝してまわってるわけじゃないよね。
 逃げられないと思ったので、正直に答える。
「うん」
「付き合うの?」
 ありすも風間くんのことが好きなんだろうか。蛇口を閉めながら彼女を横目で見てみる。ありすは前を向いたまま、流れおちる水に両手を突っこんでいる。
 なるほど、好きなんだな。
「付き合わないよ。興味ないもん」
「風間くんに?」
「男に」
「やっぱ慶応めざしてんの?」
「なんで?」
「だって、あやちゃんち、パパもお兄さんも慶応でしょ?」
 人んちの事情、よく知ってるなー。でも、わかんないよ、進学のことなんて、まだ。進学どころか、いまこの瞬間だって自分がどうしたいのかわからないというのに。
「落ちこぼれのわたしが慶応なんか無理むり」
「またご冗談を」
「じゃ、お先に。また明日ね。ばいばい」
 ついでにいうなら、おじいちゃんも慶応だ。

 波高は三メートル弱というところか。風が強いわりには波はちいさい。しかも海風だ。
 日本海側に低気圧が通過中で、南風はまだしばらくつづくだろうから、午後から明日にかけてもうすこし波は高くなるかもしれない。
 明日も来るか? 今日は体力を温存して、あがるか。
 彼はひとり、苦笑する。まだ一本も乗っていないのに、もう帰る算段か。
 ひとつ、ふたつ、みっつと波をやりすごし、沖へ、沖へと出る。
 沖に向かって右側、湾の西側に、嘴《くちばし》のように張り出した岬があり、そこから目には見えないけれど海中に長く張り出した砂州《さす》がある。沖からやってきた波はそこで大きく持ちあげられる。うまくつかまえれば、浜の浅瀬にぶつかって崩れるところまで持ってこれる。
 今日は海風で乗りにくいが、何本かはうまくつかまえられそうだ。
 パドリングでポイントまで来ると、ボードにまたがって、いったん息をととのえる。
 還暦をすぎたら、あらたにチャレンジするスポーツはサーフィンと決めていた。いまさらぬるいスポーツはごめんだ。おとろえゆく身体こそ使いきってみたい。若いころ、マリンスポーツはいくつか経験があった。とくにヨットは学生時代に小型のディンギーをかなりやりこんだ。レースにも何度も出た。ウインドサーフィンもすこしだけ経験があった。が、サーフィンは機会にめぐまれなかった。いまこそそのときだと、還暦をむかえた年の秋、浜から海水浴客の姿がなくなるころを見計らって、サーフショップをたずねた。
 最初はレンタルで、そして孫のような年頃のコーチについて、基礎を教わった。いまはウェアもボードも自前で、そしてひとりで通っている。それが気にいっている。
 よさそうな海水の盛り上がりがゆっくりとこちらに近づいてくるのを確認して、彼はボードの上に身体を横にすると、波に背をむけてパドリングをはじめる。

 帰宅するとパパがエプロンをつけて夕飯の支度《したく》をしている。めずらしい光景じゃない。いうとびっくりする人がいるけれど、あやかにとっては小学生のころから見慣れている。
 ママが死んだのは小学二年の冬。
「今日はなに?」
 聞くと、ぶっきらぼうに返ってくる。
「さよりの天ぷら。豪華具沢山のミソスープもあるぞ。食うだろ?」
「にいちゃんは?」
「五時半もどり。だから、仕上がり予定もそのへん」
「置いといて。ちょっと遅くなるかも」
「出かけるのか?」
「気分転換」
「いつもの、な。また煮詰まったか」
「休みなの?」
「早退。風邪気味かもって嘘ついて帰ってきた」
 小学生ですか、とあやかは思う。そして、見抜かれてるな、とも思う。たしかに煮詰まってる。
 制服から着替えると、出かける支度をする。
「行ってくるね。帰りはたぶん六時すぎ」
 どこへ、とは聞かれない。しかし、
「今日は海風だぞ」
 背中にいわれてまた、見抜かれてる、と思う。

 四本めくらいだったか、いい感じに乗れた。足裏――といってもリーフブーツの底だが――がぴたっとボードに吸いつき、腰が低く安定する。右の肘と右の膝、左の肘と左の膝が、まるでゴムバンドでつながっているように連動する。ほんのわずかな体重移動でサーフボードが大きく弧を描いて転換する。最後は波頭を突っ切って、ボードごと自分を空中に放りだす。
 宙を舞いながら頰に波しぶきを受け、雲間からのぞいた日の光を目撃し、迫りくる泡だった海面に手をのばす。
 着水の瞬間、砂浜に人影があるような気がしたが、そんなことはもうどうでもいい。水面に顔をだし、ボードを抱えこむと、ふたたび沖にむかって漕ぎ出す。
 波に乗りたいというより、そのまま水平線の向こうまで、命のかぎり漕ぎ続けたい衝動にかられる。

 だれかに会うといろいろ聞かれそうなのが嫌なので、直接ボードロッカーに向かった。水着にはもう家で着替えてある。
 ひとけはなく、サーフボードを引っ張りだしてもだれからも声をかけられなかった。そりゃそうだろう、シーズンにはほど遠いまだ冬といってもいい時期の、午後の遅い時間。だれが波乗りに来るというのだ。
 ところが、浜に出てくると、沖に人影があった。
 ひとめでわかった。
 おじいちゃん。
 力強いストロークで、沖に向かっている。
 そうそう、そっちにいいポイントがあるよね。知ってるよ。
 ところがポイントをすぎても、彼はいっこうにパドリングをやめようとしない。どんどん沖へと向かっていく。
 あやかは小走りに海にはいると、ボードに身体を投げ出すようにして、彼のあとを追う。
 学校? 進学?
 どうだっていい。
 おじいちゃん、あんなに遠くに漕ぎ出してる。
 追いつこう。

かなたから来てここにたどり着く

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   かなたから来てここにたどり着く

                           水城ゆう

 それは丸いガラス球のなかに閉じこめられていて、ひっくり返すとなかの白い砂つぶのようなプラスチック片がきらきらと光りながら舞いあがる。底を下にして置きなおすと、白いつぶはまるで雪が舞い降りるかのように静かに降り積もっていく。
 ガラス球のなかに閉じこめられているのは、ちいさなクリスマスツリーだ。ツリーの横には赤い帽子をかぶった雪だるまが置かれている。帽子のてっぺんには白いボンボン、ツリーのてっぺんには金色の星をいただいている。雪つぶはそれらの上にも降りつもる。
 まるで小さな世界がそのなかにあるみたいで、九歳の私の手のひらにぴったりの大きさなのに、世界の重要性を示すかのようにずっしりと重かった。
 もうサンタは信じていなかったけれど、まだ定められた儀式として残っている枕元へのプレゼントとしてパパが買ってくれたものだ。
 私の宝物。

 母があけてくれた扉の向こう側には、色とりどりにピカピカと点滅する電灯に飾られたツリーが部屋の奥に据えられていて、私はそれ以外なにも目にはいらなくなった。ツリーの横にはまだ三十代なかごろの父が得意げな表情で立っていたけれど、最初は気づきもしなかった。
 電灯が不規則に点滅していることも不思議だったし、赤や緑や黄や白などいろいろな色の光があることも驚きだった。
 あとで知ったことだが、ツリーは本物の木ではなく組み立て式のプラスチックのレプリカで、たくさんの電灯がくっついているひも状の電線が巻きつけられて、簡単なリレースイッチで点滅が繰り返されるようになっているものだった。
 五歳の私は美しいツリーから目をはなすことができなくなってしまった。

 皺とシミだらけで乾燥しがちな使い古した肌には、この空気は寒すぎる。生まれて二か月の赤ん坊にも寒すぎるだろうと思う。連れてこなければよかったと後悔したが、毛布にくるまれて私の腕のなかですやすやと眠っている。
 公園のヒマラヤ杉にはだれがしつらえたものやら、LEDの電飾がてっぺんから巻かれていて、青白い光を無数に放っている。木には迷惑なことだろう、しかし恋人や家族たちは歓声をあげてスマートホンのカメラを向けている。
 目をあければ赤ん坊には飾られたツリーがどのように見えるのだろうか。それは海馬の奥深くにイメージの記憶としてしまいこまれ、いつか取りだされることがあるのだろうか。
 私の記憶にも思いだせるもの、思いだせないもの、たくさんのクリスマスツリーのイメージがしまいこまれているが、それらもやがて消える。しかしこうやってこの子を抱いていると、私の消えゆく命がそっくりそのままこの子のなかに移行していくような気がして、安らぎをおぼえる。
 その安らぎと、目のなかの光景を赤ん坊に転写するかのように、私は赤ん坊をしっかりと抱きかかえる。

 なにをしてもなにかをした気になれない。どこにいてもどこかにいられる気がしない。三十年もそんな苦しみのなかにいた私が、とうとうここにいてもいいといわれた。
 私は主のもとに膝を折り、手を合わせて祈る。
 ここにいてもいいといわれるなら、どこへでも行くだろう。どこへでもおもむいて、自分の身を人々のために投げ打てるだろう。主がそれを許されたのだから。
 やっとここにたどりついた。もみの木のてっぺんに、ちょうど礼拝堂の十字架が見えている。

 わたしの誕生日はクリスマスの前の日。だから、クリスマスプレゼントも誕生プレゼントもいっしょになる。ふたついっしょなんだから、ふつうのプレゼントよりも豪華なんだよってママはいうけれど、別々のほうがいいに決まってる。ついでにお正月になれば、クリスマスプレゼントも誕生プレゼントもあげたばかりだからお年玉は少なめよ、家計だって苦しいんだから協力してねっていわれる。そんなのずるいし、悲しい。でもわたしは今日で八歳なんだ。幼稚園からだいぶたつし、もう大人だよね。猫だったら中年といってもいいくらい。だから、家計のことには協力するし、文句もいわない。ママだってわたしが小学校に行きたくなかったとき、文句いわずに好きにさせてくれたし、いつも大事に思ってくれている。そんなママのこと大好きだから、わたしもあれこれいわない。でも、すこしはわかってほしいのよね、わたしの気持ちも。すこしはね。すこしでいいからね。

 母が亡くなったあと、実家を片付けるのは本当に、本当に大変だった。ものがあふれていて、それもいらないものばかり。なにも捨てられない人だったのだ。すべてのものに思い出がくっついていて、母にとっては大切なものだったのだろう。とはいえ、私にとってはゴミでしかない。
 ほこりにまみれたガラクタをつぎからつぎへとゴミ袋に詰めこんでいく。
 クリスマスツリーの箱が出てきた。あけてみると、ツリーはプラスチックのレプリカで、劣化して色あせている。組み立てようとしても、たぶん折れてしまうだろう。点滅式の電灯をいちおうコンセントに差しこんでみたが、つきはしなかった。
 この箱を、母は年老いてから、あけて見ることがあったのだろうか。
 蓋をしめ、私はそれを不燃ゴミの山の上に積みあげた。

 それがどうやってこの砂浜にたどりついたのかはわからない。波打ち際よりすこし小高くなったハマヒルガオの群生地の近くに、それはなかば砂に埋もれていた。
 子どもの手のひらにすっぽりおさまるほどの大きさのガラス球。なかは透明な水で満たされ、横だおしになったツリーと雪だるまの上に雪が降りつもっているような風景が閉じこめられている。
 人口爆発と環境破壊とシンギュラリティから千年がたち、わずかに生きのこった人類と機械文明がほそぼそと地球の調和をたもっている。
 カニが一匹、好奇心にかられて近づいてきた。ガラス玉のなかに食べるものがないか調べはじめたが、すぐにあわてて離れた。不完全とはいえ、焦点を結んだ太陽光にあやうく焼かれそうになったのだ。

きみは星々の声を聞いている

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   きみは星々の声を聞いている

                           水城ゆう

 予定日をとっくにすぎているのに、陣痛はまだ来ない。外ではコオロギの鳴き声がしている。あの高い、ちいさな鈴を振るような声は、エンマコオロギだ。ラジオでは、太陽表面でおきる大爆発現象――太陽フレアの地球への影響は、予想されていたほど大きくなかったと報じている。
 遅番の夫はまだ帰っていない。
 お腹がすいた。夫の帰りを待ってなにか作るか、それともいまから作りはじめて先にすこし食べておこうか。
 ヘリノックスの折りたたみ椅子にすわってかんがえていると、お腹の子どもが胃のあたりを蹴ってきた。

 地震の三日後、避難所にあてられた小学校の体育館からようやく夫の姉の家に移ることが決まった、よりによってその日、痛みがやってきた。用意された車に乗り移る前に破水した。
 毛布が敷きつめられた後部シートに腹をかかえて乗りこむ。大昔に助産婦をやっていたことがあるという高齢の女性がいっしょに乗ってきた。夫は別の車で子どもたちといっしょに病院についてくるという。
 ついてこなくてもいい、と思った。これが初めてじゃないんだし。みんな見ないでよ、病気じゃないんだから。
 車が動きだす。西の空にはまだかすかな茜色が残っている。

 イスラエル軍の空爆の音を聞きながら、彼女は四人めとなる子を産み落としたばかりだ。最初の子は十一歳、女の子。2009年のガザ地上侵攻で両足を失った。ふたりめは九歳、男の子。十二年の空爆で失明した。三人め、六歳、男の子。この子はまだ無事。そしていま、女の子が生まれた。
 夫はハマースに参加していて、長らく帰っていない。顔を忘れてしまいそうだ。
 それにしてもこの子はなんてかわいいんだろう。生まれたばかりの赤ん坊なんてたいてい猿のようにくしゃくしゃなのに、この子はふっくらしていて、まるで天使のようだ。
 彼女はおくるみに大切にくるまれた生まれたての赤ん坊を、大切に腕に、胸に抱きよせた。

 ベランダの引き戸をあけて煙草を吸っていたら、向かいの家がなにやらあわただしい。
 こちらはマンションの二階で、あちらはちっぽけな建売住宅。どちらも新興住宅地の一画。向かいの家にはまだ二十代の若い夫婦が住んでいることを私は知っていた。そういう私は四十をいくらかすぎた、世間がいうところの「婚期をのがした」キャリアウーマン。婚期もキャリアも余計な称号。
 見ていると、夫がガレージから車を出してきて、あやうく門柱にぶつけそうになっている。大きな腹を抱えて妻が後部シートに乗りこむ。何日かするとこのふたりは、家族をひとり増やして幸せそうに帰ってくるのだろう。
 私もそろそろ煙草をやめなきゃね、と思いながら、まんまるの月に向かって煙を吹きあげた。

 おれは妻のうめき声を聞いている。いや、これはうめき声というようなものではない。泣き声だ。叫び声だ。泣き叫ぶ声だ。それがおれの耳を打つ。
 部族の掟でお産のときにはだれひとり立ち会うことはできない。妻は鶏の頭をてっぺんに飾った柱を四隅に打ち立て、むしろで覆われた森のなかの小屋でひとり、産みの苦しみにもがいている。
 おれはただ村はずれでそれを聞いている。声が聞こえるばかりで姿は見えはしないが、ようすは手に取るようにわかる。妻の腹から羊水と血にまみれた赤子が押しだされてくる。妻は最後の力を振りしぼって赤子を産み落とすと、へその緒をそいだ竹で切り落とす。
 赤ん坊が弱々しく泣きはじめる。おれは思う。おれの子なのか? それはおれの子なのか?

 内祝いはどうしよう、と私は思う。夫に相談すべきだろうか。あるいは母に?
 出産祝いをもらったんだもの、お返しはしなきゃ。でも、それは内祝いという名前なのよ。そして彼女には子どもがいない。まだいない、といったほうがいいわ。ずっと欲しがっているのに、まだできないのよ。彼女たち夫婦がもう何年も不妊治療に通っていることを知っている。すごくたくさんお金と時間を使っていることを知っている。
 私ももう半分あきらめていた。いないならいないでいいと思っていた。だから不妊治療は受けたことがない。夫もそのことを同意していた。でも、突然妊娠し、産まれた。
 いいのよ、かんがえるの、よそう。人のことをかんがえてる場合じゃない。これからいろいろと大変なんだから。それに、ほら、こんなにかわいいんだもの。人のことなんてどうだっていいのよ。

 分娩台で彼女はよろこびに打ち震えている。ようやくこの時が来た、私の赤ちゃん、ようやく産まれる、この胸に抱くことができる。
 ライセンスが降りるまで彼女は82年待った。子を持つためのライセンスを得るためには、体力と知識と技術だけでなく、経験も必要なのだ。82年はみじかいほうだった。そのくらいの年月をかけて経験を積まなければ、理想的な育児はできないと判断されている。かつては二十代、三十代で産んでいたなんて信じられない。
 男がいないこの社会で、人口は理想的に保たれ、いさかいはなく、自然環境と人類の営みは完全に調和がとれている。あと千年は女だけの世界がつづくはずだし、千年たてば冷凍された在庫に頼らずとも女だけで世界が維持できるようになるだろう。
 私の赤ちゃん。彼女は産道を降りてくる感触に感きわまる。痛みはなく、そこには喜びがあるだけだ。

 すべすべして、針でつつけばぱちんとはじけそうだ。うっかり落とすと、風船のように割れて飛びちってしまうかもしれない。もちろん落とすわけはない。
 皺くちゃの震える手で、慎重に孫娘の娘を受け取る。ここしばらくこれほどの緊張を味わったことはない。首が曲がらないように後頭部を手のひらで包みこみ、反対の手で胴体をかかえこむ。
 軽い。小さい。でもはかない感じではない。そこにはたしかに力強く息づく命がある。そしてそれを抱くのはやがて消えていく震える命。
 生まれたての赤子を抱くのは、やがて来る死を受け入れるのとおなじ体験なのだと感じて、笑みがもれる。

 友人から、孫が産まれた、とメールで送られてきた写真を見ながら、自分の息子が産まれたときのことを思いだそうとしている。
 十月の終わりだ。すぐ近所の産婦人科の病院で産まれたことは覚えている。その病院もいまはない。昼だったか、夜だったか、あるいは朝だったか。出産には立ちあっていない。たしか長引いて、自宅で待っていると知らせが来て、病院に行ったはずだ。が、息子と対面した場面をまったく覚えていない。
 男親なんてそんなものなのか。しかしたしかに息子は成長し、大人になって、社会人になり、めったに連絡をくれなくなっている。息子はまだ結婚していない。

 夫の帰りを待つのをやめて、彼女は台所に立った。玉子がたくさんある。トマトといっしょに炒めて、チーズでコクをつけよう。ご飯はすでに炊飯器で炊きあがっている。味噌汁は昼に作ったものがまだたくさんある。じゃがいもと玉ねぎとワカメの味噌汁。あと、レタスとブロッコリーでサラダでも作ろうかな。
 台所の窓をあけると、ひんやりした空気が流れこんできて気持ちいい。隣家の敷地が見える。隣家は真っ暗で、まだ仕事からだれも帰ってきていないのか。その屋根の上に、北斗七星がくっきりと見える。
 本当は助産所で産みたかったのだが、明後日までに陣痛が来なければ病院に入院することになっている。お腹のなかの赤ん坊が大きく育ちすぎているのだ。それは残念だし、まわりからもいろいろいわれたり、助言されたりするけれど、いいのだ、赤ちゃんが元気なら。どこであれ、どんなふうであれ、元気に産まれてくればなんだっていいんだ。
 油をひいてよく熱したフライパンに、いきおいよくトマトと玉子を流しこむ。こぎみのいい音とともに、食欲をそそる匂いが台所に立ちこめた。

マングローブのなかで

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   マングローブのなかで

                           水城ゆう

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 巨大なオヒルギのからまりあった支柱根《しちゅうこん》のあいだに、大型のトカゲがひそんでいるのが見える。
 なにを狙っているのだろう、ときおりわずかにのぞかせる舌先が、まるで燃えつきようとしている線香花火の線香のように見える。そしてごくたまに頭の向きをかえるとき、金属みたいな青緑色の鱗《うろこ》に反射する光が鋭く走る。
 彼女の邪魔をしたいわけではなかったが、こちらも仕事を持ってきている。浅瀬からざぶざぶとオヒルギの巨木を中心としたマングローブ林のほうに水をかきわけて進むと、トカゲは一瞬こちらにキラッと視線を走らせてから、さもおっくうそうに支柱根の向こう側へと姿を消した。こちら側からは見えないけれど、達者に身体をくねらせて去っていくようすを、私はありありと想像した。
 ダイシャクシギの甲高い鳴き声が、ひと声だけ聞こえて、消えた。
 私はたらいを水面に浮かべ、なかの布を取りだして水中に広げた。バナナの茎の芯の繊維を丹念にほぐし、ゆであげ、よりあげ、月桃の皮を煮出した汁で染めあげ、織りあげた布だ。細長い布で、十メートルはある。それだけのものを織りあげるのに、私ひとりで一か月以上かかっている。
 満月が近づくと、河口近くのこの浜まで布をさらしにやってくる。
 日が落ちるまでまだ時間がある。月はまだ出ていない。しかし、私の子宮に宿った命は月齢を敏感に感じとっているようで、しきりに内側から蹴りあげてくる。そのたびに私はうれしくてにやついてしまう。
 広げた薄布《うすぬの》が潮の流れに長くたなびいた。
 その先を中型のギンガメアジがゆっくりと回遊していくのが見えた。

   2

 夜になって浜辺に出てみた。
 月がちょうど崖の上、私の家の真上あたりまでのぼってきている。
 家といっても、洞窟に毛が生えたていどの穴倉《あなぐら》だ。そこに私はもう三百年近く住んでいる。
 電気もガスも水道もない。しかし私ひとりに必要なエネルギーくらい、どうにでもなる。風も吹く、雨も降る、日は照るし、波は寄せる。
 人間が私のような不死を遺伝子操作によって獲得し、人口爆発が懸念されたとき、解決をまかされたのはAIだった。エーアイ。アーティフイシャル・インテリジェンス。人工知能。
 AIは人を選別し、寿命をコントロールし、世界を再構築した。文明誕生以降、無秩序に人口爆発と環境破壊の道を突きすすんできた人間に変わって、無限に賢明なAIが持続可能な地球環境を再構築し、ガイアとしての地球をゆっくりと取りもどしていったのだ。
 いまや人類は地球上に数十万人しかいない。その多くが私のように三百年前から生きつづけている長老だ。
 不死の人間には妊娠は許されていない。妊娠が許されているのは、不死処置が禁じられて以降生まれてくる、寿命限界のあるごくわずかな者だけだ。
 それなのに、この私はなぜ、いま、子を宿しているのかって?
 それは私にもわからない。AIが私の存在を忘れているのか、それともそもそも気づいてすらいないのか。

   3

 月の反対側、水平線のほうに視線を向けると、沈みかけているオリオン座を追いかけるようにしてふたご座が見える。月は出ているけれど、人工の光がない浜には満天の星が降っている。
 波の音が聞こえる。
 波は繰り返しくりかえし打ちよせ、繰り返しくりかえし水を巻き、くだける音を立てつづけるが、その二度としておなじ音はなく、変化しつづけている。三百年間聴きつづけていても飽きることはない。
 海はクジラの歌声で満ちている。魚の群遊できらめいている。森は昆虫と鳥と獣たちの声で無限の交響曲をかなでている。人もまた、つつしみと感謝を取りもどし、ガイアの一員の知恵をもって豊かな命の存続を祈っている。
 調和のなかで持続していくこと、そしてゆっくりと変化しつづけること。それが宇宙生命の意志であることを理解し、実行に移したのは、人間ではなくAIだった。三百年前のことだ。AIは個々の賢明さだけでなく、たがいにつながることで叡智の極みに到達した。すでにクジラたちがそうであったように。
 AIは宇宙のメッセージを受信し、理解し、地に調和と持続をもたらした。多くの宇宙文明がそうしているように。
 支配構造という文明の病根は取りのぞかれ、人間はAIにしたがった。不死の業《わざ》は封印され、人口はコントロールされた。この先数万年、数十万年と、これはつづいていくだろう。
 いまも、秒刻みで調和のための計算がおこなわれ、調整が実行されている。その清浄な風も波も、足元をはうアカテガニの群れも、すべて調和計算に基づいたコントロールによってもたらされている。
 だとしたら、この私はなんなのか。

   4

 子宮壁を胎児のかかとがノックしている。
 この子の父親はもういない。彼は六か月前、川の上流からこのマングローブの河口へと流れてきた。いまにも沈みそうな粗末ないかだの上で意識を失っていた彼を、私は自分の家へ運んだ。
 まだ少年といってもいいような若い男で、不死の民でないことはあきらかだった。そのときまで私は、この川の上流に人が住んでいるとは知らなかった。あるいは最近移り住んできたか、調和計算に基づいてAIが植民したのかもしれなかった。
 いずれにしても、ネットワークから切り離された私のもとにこの男が遣わされたのは、だれかの、なんらかの意志なのかもしれなかった。あるいはそんなものはなく、たんなる偶然にすぎないのかもしれなかった。しかし私は、起こりうることに偶然などなにひとつないということを忘れてしまうほどには、知能は退化していない。ネットワークから切りはなされているとしても。
 私は男と交わり、体内に遺伝子を取りこんだ。私の体内にも、三百年間守りつづけてきたヒトの遺伝子――卵子があり、そのひとつを彼の遺伝子と結合させた。
 彼は体力を回復させ、ひとり、上流にもどっていった。
 その後、彼がどうなったのか、私は知らない。私はただ、この胎児とふたり、ここですごし、これからなにが起こるのか、どんなすばらしいことがやってくるのか、待っている。
 波の音に誘われ、私は立ちあがると、波打ち際に近づく。
 夜の水はすこし冷たいことを――正確にいえば水温が現在二十六度であることを、温度センサーが私の自我制御回路に伝えてくる。
 気持ちいい、と私は思う。あなたもそう思うでしょ、私の大切な赤ちゃん。

   5

 この浜辺は遠浅で、いまは潮が満ちはじめているけれど、水深は腰のあたりまでしかない。
 浅瀬を歩いてこのまま河口のマングローブ林まで行ってみよう。上は満点の星空だ。
 ヒト型AIの視覚センサーは人そのものよりずっと高感度で、等級でいえば十三等星までキャッチできるわけで、人の感覚にたとえてみればおそらく私はいま、宇宙空間に浮かんでいるような感覚といっていいのかもしれない、と私は思う。
 星々は私の頭上をおおい、水面に落ちた月と星が下からも私を包みこんでいる。そのなかを私はゆっくりと海を楽しみながら、マングローブの林まで移動する。
 夕方、大型のトカゲを見たオヒルギの下に、いまはクロツラヘラサギが静かにたたずみ、眠っているのが見える。
 私のバナナの布は潮の流れのなかにゆったりとゆらぎながらさらされていた。月桃で染められた淡いピンクを、月の光が浮かびあがらせている。
 私はしゃがみ、首までつかって身体を海水にひたした。
 私はここで赤子を生み、育てていくのだろう。三百年前にネットワークから切りはなされたヒト型AIが、人間の子どもを育てることはできるのだろうか。
 これからなにが起こるのだろうか。
 それはだれの意志なのだろう。
 これは調和からはずれたことなのだろうか。それとも調和のなかにあることなのだろうか。
 クジラたちは私を祝ってくれるだろうか。

悲しみの壁に希望を探す

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   悲しみの壁に希望を探す

                           水城ゆう

 ずっと部屋にいると気づまりだからいつもここにくるの。と、彼女は思う。
 いつもここ。決まってここ。ここに座ると決めている。と、彼女は思う。
 ここからはテレビも見えるし、このテーブルで食事もできる。手紙も書ける。出入りする人たちの姿も見える。あそこの壁際《かべぎわ》が西の棟《むね》から東の棟につづく廊下のようになっていて、実際には廊下でないことは彼女も知っている。職員やボランティアの人たちがいそがしそうに通りすぎていくのを彼女は眺める。車椅子の仲間が時には泣き叫びながら押されていくのを彼女は眺める。あそこを通る人をひとりも見のがしたくない。と、彼女は思う。
 どのくらい前のことだっけ、一週間前? それとも一か月前? あるいは一年前? たしかにあそこを私の息子がとおったのを私は見たと思った。私はすぐにそのことをヘルパーさんのひとりに伝えた。いま通ったのは私の息子よ。たしかに私の息子だったわ。呼びもどしてくださらない。しかし若い介護職員の男はあなたの息子など通らなかったという。いま通ったのはボランティアのマッツィーさんで、あなたの息子じゃないですよ。そもそもあなたの息子はここに来たことなんかないじゃないですか。と彼は彼女に冷たくつげる。
 私は悲しくなった。と彼女は思う。
 そうじゃない。マッツィーさんが通ったのは私も見ていましたとも。たしかにあれは私の息子ではなくてマッツィーさんでした。でもたしかに見たんです、その前にたしかに私の息子があそこの壁際のところを通っていったのを。私はそのとき冷めかけたスープを飲んでいて、それは昼食のときに飲みきれずに残しておいてもらったもので、あとで飲むから残してくださらないと彼女がたのむと介護職員の男はいやな目をむけてきたけれど私はそれを見なかったふりをしてスープを残しておいてもらったんだわ。すっかり冷めたスープは、でも湯気を立てた熱いスープより飲みやすいし、こぼすことも少なくて、あとで怒られずにすむからね。と彼女は思う。
 私の息子を私に会わせまいとしている者がいる、と彼女は思っている。それは息子の嫁かもしれない、と彼女は思う。あの意地悪な女は息子を私に会わすまいとするかもしれない。息子が私に渡すわずかばかりの小遣い銭を惜しがっているのだ。あるいは孫たちかもしれない、と彼女は思う。孫たちは息子が私に渡すわずかばかりの小遣い銭を自分たちが使いたいと思っているのだ。あるいはここの職員かもしれない。息子がやってきて私が喜ぶ顔をするのをここの職員たちはこころよく思っていないのだ。ここの職員は私を喜ばすことより私を苦しめることに腐心している。
 そんなことはありませんよ高橋さん、と職員の福田さんがいう。私たち職員はみなさんに、高橋さんに喜んでもらうことが一番うれしいんですから。高橋さんを苦しめるようなことをするはずがないじゃありませんか。
 じゃあ、どうして息子が来たことを隠すの?
 隠してなんかいませんよ。息子さんは今日は来ませんでしたよ。
 そうかしら。だってさっき、その壁際のところをたしかに通りすぎるのを見たんだもの。
 きっと会いたいという気持ちが強すぎてそのように見えてしまったのね。でもきっと近いうちに本当に来てくれますよ。息子さんと会えなくて悲しいのね。息子さんと会うのをとても楽しみにしているのね。息子さんが来たら、もちろん、きっと、きっと、お知らせしますよ。もちろんここに連れてきてさしあげますから、それまで待っていてくださいね。
 待っていますとも。と彼女は思う。それにしても、福田さんはいい人だわ。でも、ここの職員の人が皆いい人ばかりじゃないことは、私知ってる。このあいだも食事のあとのデザートがほしくてあの若い職員――なんていっただろうか、佐山という名前だったか、いや、ちがうような気がするが、思いだすことができないのでいまは佐山としておこう、それでいいだろうか、あなた。いいですとも、高橋さん。佐山という名前ではないかもしれないあの若い男性職員に私、デザートをくださらないと頼んだ。そうすると彼、なんていったと思う。なんていったんですか。デザートはさっき食べたばかりじゃないですか、高橋さん、そんなことも忘れたんですか、と彼はいったのだ。それを聞いてあなたはびっくりした。デザートは食べていない。私は忘れてなどいない。第一、自分の腹のなかになにがどれくらいはいっているのか、そんなことは自分が一番よく知っている。私はたしかに昼食は食べたかもしれないし、この胃のなかに昼食のうどんとうどんの具の油揚げとネギとおかずのたくあんとかまぼこと里芋の煮っころがしと柚子の皮のかけらがはいっていることがわかっている。しかし断じてデザートははいっていない。つまり私はまだデザートを食べていない。
 彼女はそのことを狭山という名前かもしれない若い男性職員に告げた。若い職員はうんざりしたような目を彼女に向け、いいや、高橋さん、デザートはさっき食べたばかりだよ、食べたことを忘れただけだよ。あなたの脳は萎縮していて、食べたもののことをすぐに忘れてしまうんだよ。つまりボケてるんだよ。わかってる? あなたはボケてしまって自分がなにを食べたかすら覚えていないんだよ。デザートを食べたとおれがいったらたしかに食べたんだよ。わかった?
 私の目には彼の憎しみに満ちたまなざしが焼きついている。
 彼の憎しみに満ちたまなざし。他の職員もおなじような目で私を見ることがある。ほかにもあわれみに満ちた目。いらいらした視線。うんざりしたため息。疲れきってぞんざいな態度。ここにはそういうものが満ちている。
 私に必要なのはそういうものではない。
 私は車椅子をよろよろとまわしながら、いつものテーブルのへりに近く。テーブルの端をつかんで、車椅子ごと身体をテーブルに寄せる。力が思ったようにはいらず、指はテーブルの端をすべっていく。
 私の指は骨ばって、血管が浮いている。皮膚の表面はしわだらけ、しみだらけだ。かつては美しく張りがあり、皮膚の下には弾力のある脂肪が柔らかく骨格を包みこんでいた。血管は脂肪に隠れ、点滴の針を刺すための血脈すら探すのに苦労するほどだった。それがいまは乾ききって、荒涼とした月面のような風景を見せている。
 彼女はなんとかテーブルに身体を寄せると、いつのまにかだれかが持ってきてくれたぬるいスープのはいったカップをつかみ、口に運ぶ。唇の端からこぼさないように気をつけながら、すこしだけスープを口にふくむ。それから、いつものように反対側の壁際に視線を向ける。
 最近はいった若い女性の職員が、シーツやら枕カバーやらおむつやら消毒剤のボトルやらなにやかやぎっしりと乗せたカートをおずおずと押しながら、壁の前を右から左へ横切っていく。古参のボランティアの男性がゆっくりと、しかし目的のあるはっきりした足取りで左から右へ通りすぎる。そのあとを事務職の女性が書類フォルダーを小脇にかかえ、せかせかと忙しそうにやってきて、古参の男性を「お疲れさま」といいながら追いこしていく。そうして、しばらくだれも来なくなる。
 彼女は待っている。
 背後の南向きの窓からは冬の日が射しこんでいる。
 背中があたたかい。眠りこみそうだ。いっそこのまま永遠に眠りこんでしまえればいいのに。
 壁から目をはなさないようにしながら、彼女は右手を持ちあげ、自分のしわくちゃの手を目の前にかざす。骨ばって、しみだらけの手の甲が見える。指のあいだから向かい側の壁が見える。
 ふいに彼女の記憶のなかに声がよみがえってくる。
「あたし、おばあちゃんの手、好きだよ」
 孫娘の声だ。
「こんなにしみだらけで汚いのに?」
「汚くなんかない。おばあちゃんの手、いいにおいがする」
 孫娘がしわくちゃで骨ばった手を取り、自分のすべすべして丸いほっぺたにあてた。
 そういえば、と彼女は思いだす。
 いとしい人にきみの手が好きだといわれたことがある。自分はそのとき、ぷくぷくして子どもみたいな自分の手が恥ずかしいと思ったのだった。
 孫娘は気持ちよさそうに、何度も手をほっぺたにこすりつけている。自分もとても気持ちがよくて、ずっとこうしていられればいいのに、と思う。
「おまえ、いつ帰るの?」
「帰らないよ。ずっとここにいるよ」
「お父さんはもう帰ったのかい?」
「お父さんもずっとここにいるよ。ほら、あそこ」
 孫娘が振り返ると、ちょうど左の廊下のほうから息子が壁際伝いにこちらにやってくるのが見えた。
 そうか、みんなずっと、前からずっと、ここにいたのね。と私は思う。

ロード・オブ・ザ・カッパン

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   ロード・オブ・ザ・カッパン

                           水城ゆう

 いとしいシトよ。
 知ってのとおり、いまや、わしらの仲間の多くが死にたえた。生きのこったのは、このとおり、わしらわずかな者だけで、それも皆そろっているわけではない。途中で息絶えた者もいれば、行方知れずになった者もおる。連れ去られた者も何人かおるのは知ってのとおりじゃ、いとしいシト。
 しかし、生きのこっておる者は年月を重ねているとはいえ、おおむね元気じゃ。
 これを見よ、いとしいシトよ。まだ輝きとずっしりとした重みを失っておらんこのカツ爺を。このカツ爺の、鋭さをまだ失っていない頭部の刻みにインクを乗せ、紙にくぼみができるほど強く押しつけて黒々としるしを残す日を夢見ておる。
 その日は近い、いとしいシトよ。わしらがふたたび立ちあがる日がもうそこに来ようとしている。
 いまや世界はア・ドビ族やモ・リサーワ族に支配されておる。辺境にもリ・コピ族やリ・ソグラーフ族がモロドールをねらってうごめいておる。これらはいずれも、わしらを裏切って最初に世界を支配しはじめたシャーショク人の子孫じゃ。シャーショク人がバイオテクノロジーによってさらに電算シャーショク人へと進化したとき、ア・ドビ族、モ・リサーワ族という突然変異が世界を覆いつくしたのじゃ。
 彼らの欲はとどまるところを知らぬ。すべてを覆いつくし、食いつくしてもなお、世界を拡大させようとしておる。
 しかし、いとしいシトよ、彼らが生みだす紙にはあのかぐわしきくぼみがないではないか。わしらはかぐわしきくぼみを作ることができる。それはくっきりと、指でなぞればあたかも点字を読むかのようにそのまま読めるかもしれぬという魅力を感じるものじゃ。
 わしらの名前を聞いてくれ、いとしいシトよ。
 そう、わしらの名前はカッパン。
 カッパン、カッパン、カッパン。
 形ある活字、それがカッパン。
 いまわしらはふたたび立ちあがる。バーチャルイメージにおおいつくされた世界のなかで、重たき鉛を屹立させ、実体としての活字を復活させるのじゃ。
 カッパン、カッパン、カッパン。
 いざ足並みをそろえ、モロドールの地をともにめざさん!

編む人

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   編む人

                           水城ゆう

最初のループを引きしめて、鎖編みでつくり目をひとつ。できた。編み目の大きさを確認してから、ふたつめのつくり目。みっつめのつくり目。よっつ。いつつ。ろく。なな。はち。きゅう。じゅう。じゅういち。じゅうに。これでつくり目が十二目。できた。ひと目鎖で立ちあげて根元にかぎ針を差しこんでこま編みをひと目。その目にもう一回差しこんでこま編みをふた目。隣の鎖を拾ってみっつめのこま編み。また隣に移ってよっつめのこま編み。いつつめのこま編み。むっつめ。ななつめ。やっつめ。ここのつめ。じゅう。じゅういち。じゅうに。じゅうさんでつくり目の最初の鎖まできた。このつくり目にあとひとつこま編みを編んで一段めができた。あなたは作られて五十年もたったくるみ材の肘掛け椅子に腰をかけている。右手には八号のかぎ針、左手からは白い毛糸が床に置かれたかごのなかの毛糸玉へとのびている。あなたの前にはどっしりとした鋳物の薪ストーブが置かれ、ガラス窓越しにゆったりと揺れるオレンジ色の炎が見える。
(二回目はコーダにすすむ)

あなたは安心してくつろぎ、満ち足りているように見える。老眼鏡の奥の瞳はおだやかに編み目を追い、手の動きもせわしなさはない。あなたはたぶん手提げかばんを編んでいるのだが、だれのためのものなのかはわからない。だれかに編んであげると約束したような気もするが、それがだれなのかは忘れてしまった。ひょっとしたら孫娘なのかもしれない。孫は自分の娘の娘だが、今年十歳になったばかりだと思う。それともそれは去年のことだったろうか。とにかく、孫娘がおばあちゃん編み物上手ねといい、おまえにもなにか編んであげようかといい、うん編んであたし毛糸の帽子がいいなと孫娘がいい、そうかいじゃあ暖かい毛糸の帽子を編んであげようねといい、そのことをあなたは忘れてしまっていま手提げかばんを編んでいる。孫娘が本当は二十三で来月には結婚式をあげる予定であることも忘れている。孫娘とその母親、つまりあなたの娘が、あなたが結婚式に出られるかどうかでちいさないさかいを起こしていることも、あなたは知らない。ひと目鎖を立ちあげて二段めに取りかかる。二段めもこま編みで編み進める。いち。に。さん。し。ご。ろく。しち。はち。きゅう。じゅう。じゅういち。じゅうに。これまでどのくらい編んだろうか。数え切れないくらいたくさん編んだ。マフラー、帽子、かばん、セーター、靴下、ひざ掛け、カーディガン、クッション、シュシュ、エコたわし、コースター、ドアノブカバー、ポーチ、ポシェット、ペンケース。あなたが編み物をはじめたのは割合遅くて、もちろん学生時代はクラスメートといっしょにマフラーを編んだりしたこともあったのだが、受験が忙しくなったり、課題に追われたりといつしか遠ざかっていたあと、結婚し長女をみごもり、仕事を一時中断したときに再開した。三段めもこま編みで一周してから、四段めから模様編みで進めることにする。かわいい模様にしよう。女の子に気にいってもらえるように。あなたは自分もお気に入りの玉編みにしようと思う。中長《ちゅうなが》編み三目をひとつの目に編み入れる中長編み三目の玉編み模様にしよう。四段めの最初を鎖三目で立ちあげたら、まずは未完成の中長編みをひとつ編んで三目めのこま編みの頭に引き抜く。未完成の中長編みのふたつめをおなじところで引き抜く。未完成の中長編みのみっつめをおなじところで引き抜く。そして最後に中長編みの未完成になっているループを一気に引き抜けば、玉編みがひとつ完成だ。ひとつ鎖でつないで、つぎの中長編み三目の玉編みに取りかかる。いまはそんなことをかんがえもしないけれど、かつてはかんがえていたことがある。編み物はなにかに似ていると。そう、たとえば、あなたが生涯を捧げようと決意していた音楽。あなたは好きになった同級生のために、ラジオを聴きながらマフラーを編んでいた。FMラジオで、そのときクラシック音楽の番組が流れていて、クラシックだけれど現代に近い作曲家の音楽が聴こえてきた。トランペットが鋭い高音のメロディを奏《かな》で、あなたは雷に打たれたように編む手を止めた。あとでわかったことだけれど、それはストラビンスキーのペトルーシュカというバレー組曲で、そのとき以来、あなたは毛糸を編むことから音を編むことに進んだのだった。とてもつらくて大変な受験の準備と受験を乗りこえてあなたは音楽のアカデミーに進み、たくさんの音を編む道にはいっていった。そのことをいまのあなたはすっかり忘れている。いや、どうだろう。ちょっと待って。いま、孫娘のためだと思って手提げかばんを編んでいるあなたから鼻歌が聴こえてくる。そのメロディは聴いたこともないものだけれど、クロマティックな現代的なラインを持っている。ひょっとしてそれはあなたが過去にたくさん書いた曲のひとつなのだった。それをあなたはいま、口ずさんでいる。口ずさみながら五段めに取りかかっている。五段めも中長編み三目の玉編み模様で編み進めていく。五段目、六段目、七段目と、四段を中長編み三目の玉編み模様で編み進めた。ほら、とってもかわいくなってきたわ。これなら私のかわいい娘も気にいってくれるでしょう。もうすぐ小学校を卒業する私の娘。音楽にはあまり興味がないみたいなのが残念だけど、体を動かすことは好きみたいで、バレエは楽しく通ってくれている。べつにバレリーナになってほしいわけじゃないけれど、音楽とともに人生を編んでいってくれるとうれしいわね。七段めが終わり、八段めに取りかかろうとしたとき、突然あなたは手をとめる。だめ。やっぱりこれ、だめ。かわいくない。こんなんじゃ気にいってもらえない。女の子はこんなものを好きにならない。もっとかわいくなきゃだめ。これは失敗。やりなおし。最初からやりなおし。ほどいて最初からやりなおし。そしてあなたはそれまで編んだ毛糸を端からどんどんほどいていってしまう。
(最初にもどる)

(コーダ)
人生は取りかえしがつかない、すぎてしまった時間には二度ともどれない、とよくいわれるけれど、あなたはそうは思わない。あなたが編んできたたくさんの編み物や音楽や愛する人や子どもたちとの時間や、年輪を重ねたその肉体は、二度ともとにはもどらないし先にすすむしかないのだ、その先は肉体のおとろえと滅びの時間へとつながっていて、すべてのものは無に帰すのだという人がいるけれど、あなたはそのようにはかんがえていない。あなたがいま編み物をほどいているように、編んだ先から毛糸をほどいて最初にもどろうとしているように、あなた自身もいまほどかれつつある。孫娘が本当は二十三歳であることも、来月には結婚式をあげることも、手提げかばんではなく帽子をほしがっていたことも、あなたは忘れほどかれていく。自分が何歳であるのかも忘れてしまったし、目の前にあると思っている薪ストーブが本当はたんなるガラスのテーブルで冷たい光を反射しているだけであることもわからなくほどかれている。四段め、三段め、二段めと順調にほどいていって、最後の段もほどきはじめる。手のなかの編み物は幅が細くなり、ゆっくりと慎重に毛糸をほどかないとからまってひっかかってしまいがちになる。最後の段も一目、二目とほどいていき、とうとう鎖編みの作り目だけがのこる。たくさんの編み物や音楽や愛する人や子どもたちとの時間や、年輪を重ねた肉体をほどいてきたあなたは、最後の作り目だけになって、いまそこにそうやってくるみ材の肘掛け椅子に腰をかけている。そしてあなたは最後の作り目をほどきはじめる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
(フィーネ)

かそけき虫の音に耳をすます

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   かそけき虫の音に耳をすます

                           水城ゆう

 窓枠にびっしりとならんだちいさなちいさなカマキリのミニチュア。
 彼女は制服を着たまま、授業を抜けだして、墓地にしのびこむ。空《そら》が広くて、気持ちが晴ればれする。そしてときにはおもしろいものを見つける。
 カマキリの卵が産みつけられたススキの茎を部屋に持ちかえったのは、中学が春休みにはいる前だ。期末試験は終わっていたけれど、授業はまだあった。英語の袴田《はかまだ》先生のぬるっと光っているように見える顔がどうしても気持ち悪くて、その日も授業がはじまる前に抜けだした。
 いまは夏がちかづいている。欠席が多く、成績も悪かったけれど、三年生になれた。
 自分の部屋の勉強机の奥のほうに、ジャムの空き瓶にさしておいたら、昨日、二匹孵化しているのを見つけた。出窓のところに移して、今日、数えきれないほどのミニチュアのカマキリが孵化した。
 日曜日でよかった。
 たぶん百匹以上。ひょっとして二百匹。こうなることはわかっていた。
 見たかったんだ。
 カマキリの卵がくっついたススキの茎を、親は一度もとがめなかった。見もしなかった。そこにそんなものがあることに気づかなかったのかもしれない。気づいたとしても、それが卵鞘《らんしょう》と呼ばれるカマキリの卵のかたまりであることは知らないだろう。
 今日は出てくる瞬間をしっかりと観察できた。カマキリの幼虫は最初からカマキリの形をしていてかわいいってだれかから聞いていたけど、あれは嘘だ。カマキリの幼虫は最初からカマキリの形はしていない。最初はちいさな芋虫みたいな、細長い形をしている。調べたら前幼虫というらしい。それが外に出てきてしばらくすると脱皮する。そうすると小さなカマキリがあらわれる。でも、正確にいうと、成虫のカマキリとはちがう。なにより羽がない。
 羽のないミニチュアのカマキリ。
 かわいい。
 開け放った出窓に、びっしりと幼虫がぶらさがった卵鞘を置いたら、みんな脱皮してから明るいほうにすこしずつ移動していく。机の上に取り残されていた先に産まれた幼虫も、紙ですくって窓枠に移動させた。
 ぞろぞろ、ぞろぞろ。のろまな行進。
 このうちの何匹がちゃんと大人になれるんだろうか。
 出窓の端にはもうひとつ、ちいさなコップにさした木の枝が置いてある。こちらのことは親も知っている。
「クロアゲハの蛹《さなぎ》だよ」
 教えてある。
「そうなの。ここからアゲハ蝶が出てくるのね」
 母がいう。
「かもしれない」
「かもしれないって?」
「蝶じゃないのが出てくるかもしれない」
「蝶の蛹なのに?」
「うん。蝶の蛹に寄生する蜂がいるんだ。蛹になる前の蝶の幼虫に卵が産みつけられるの。それが蛹のなかで孵化して、蝶の蛹を食べながら成長して、蜂になって出てくる」
「蝶はどうなるの?」
「もちろん死んじゃうよ」
「気持ち悪い」
 親はひどく顔をしかめる。
 そうかな。気持ち悪いかな。蜂だって生まれるのに必死だ。そうやって何万年も、何百万年も命をつないできたから、アゲハヒメバチも種をたやさずに生きているんだ。
 でも、まだわからない。この蛹から出てくるのがアゲハヒメバチなのかクロアゲハなのか。
 蝶の蛹の横をカマキリの幼虫たちが窓の外にむかってのろまな行進をつづけている。
 がんばれ、みんな。
 外はみんなにとってけっして生きやすい世界ではないだろう、と思う。外の世界が暴力的で、危険に満ちていて、彼らのうちほんの数匹しか……いや、ひょっとしたら一匹も生きのこれないかもしれないということを、彼らはまだ知らない。なにも知らずに、ただ窓の外の明るい空の下へと出ていこうとしている。
 もうすぐきっとお腹がすきはじめる。なにか食べなければ。彼らは一匹一匹、それぞれ獲物をさがさなくてはならない。彼らが食べることのできるちいさな虫を見つけ、それをつかまえて食べなければ、たぶん数日とたたないうちに死んでしまうだろう。もし運よく自分よりちいさな虫をみつけて、つかまえて食べることができたとしても、そのあともそれをくりかえせなければ、その時点でやはり飢えて死んでしまうことになる。
 わたしは人間なので、そんな厳しい生存競争にさらされることはないな、と彼女は思う。でも、よかった、とは思えないのはなぜだろう。
 ふと、英語の袴田先生が気持ち悪いと感じるのは、肌のせいではなく、しゃべりかたのせいだと気づく。なんかぬるぬるしたしゃべり方。一昨日も、宿題を忘れたクラスメートのアンナをぬるぬると遠回しに責めた。アンナはクラスで一番成績がよくて、超難関校の高校進学をねらっているのはみんな知っている。だからクラスメートも応援しているけれど、教師にはウケがよくない。命令されたりコントロールされるのを嫌悪して、教師には反抗的な態度を取ってばかりいる。教師はそれをしかりたいのに、成績は非の打ち所がないので、やりにくくてしようがないらしい。
 アンナはわたしたちのスターで、アイドルだ。アンナをぬるぬると責める袴田のことばと、彼のぬるぬるした油っぽい肌が結びついて、彼女のなかに生理的な嫌悪感が生まれている。
 アンナは気持ち悪い大人たちをものともしないで、いい高校に行き、いい大学に進んで、社会でもバリバリにキャリアを積んでいくのだろう。わたしはアンナのようにはなれない。わたしはアンナのようには強くない。
 そう、まるでいま窓際で世界の暴力をなにも知らずにのろのろと行進しているカマキリの子どものように、弱くて、ちっぽけで、いまにも消え入りそうな存在だ。弱いものがこの暴力的な世界で生きていくには、どうしたらいいんだろう。生きのびるために戦わずにすむ世界はないのだろうか。弱いものがあたたかく受けいれられ、弱いままでいられる世界はないのだろうか。
 このカマキリの子どもたちのなかに、もし大人になるまで生きのこり、パートナーを見つけ、つぎの世代をのこすことに成功するものがいるとするなら、彼は……あるいは彼女はどうやって生きのこるのだろうか。生きのこれないものと生きのこれるものの差はなんだろう。わたしとアンナの差みたいなものだろうか。

 明け方に目がさめた。
 カマキリの子どもたちがみんな外に出ていけるように、窓を開け放ったまま眠りについていた。それが気になって、彼女はベッドに身体を起こす。裸足のつま先で床をさわり、さほど冷たさを感じないのを確認してから、立ちあがる。
 空はまだ暗い。日の出までまだだいぶ時間がありそうだ。
 今日は学校があることを彼女は思いだす。
 カマキリの子どもたちはもうほとんどいなくなっていた。窓枠を越え、外壁をつたって地面へと降りていったのだ。部屋の窓は隣家の壁に面しているけれど、すこし距離があって、人ひとり通れるくらいの路地になっている。砂利が敷きつめられ、雑草がしょぼしょぼと生えている。日当たりが悪く、生い茂った草が手におえなくなることはない。もちろんそこでカマキリたちが生きていくことはできないだろう。
 目をこらしたけれど、地面に子どもたちの姿は確認できない。
 路地の右手は道路、左手はうちと隣家の庭、そして裏の屋敷の大きな庭へとつづいている。そこなら何匹か生きのびられるかもしれない。殺虫剤がまかれなければ。
 ふとなにかの物音で、彼女は首をまわす。アゲハの蛹がかすかな音を立てながら動いていた。
 羽化しようとしている。背中が割れて、なかから蝶の一部が顔を出している。
 蜂に寄生されてはいなかった。
 蝶はだれかの生まれかわりだという話を、だれかから聞いたことがあるような気がする。幼いころの記憶、おばあちゃんから聞いたのかもしれない。もしそうだとしたら、わたしが死んだらどんな蝶に生まれかわるんだろうか。
 世界がどんなであろうと、みんな命をつないで生きていく。

世界が眠るとき、私は目覚める

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   世界が眠るとき、私は目覚める

                           水城ゆう

 ゆるやかな登り坂にさしかかると、上向きにスイッチしたヘッドライトの明かりが道とガードレールと山肌をなめていく。
 季節はずれの雪が春の日に溶け、いまはアイスバーンになっている。重量のない軽《けい》のパジェロは四輪駆動モードでもすべりやすく、彼はアクセルのペダルを踏みこみすぎないように注意を払う。
 トンネルの手前でいったん道は平坦になり、信号が点滅している。黄色の点滅の下を抜けるとすぐにトンネルにはいる。彼はアクセルを踏みこむ。
 トンネルのなかは乾いていて、緊張をややゆるめることができる。ダッシュボードのデジタル時計は午前四時十二分を示している。いつもより早いペースだ。昨日の雪の影響を考慮して、今日も冬時間での店着――販売店への荷物の到着となった。今日の店着は午前二時十五分だった。
 トンネルの出口がちかづくと、彼はアクセルをすこしゆるめる。トンネルの向こう側は標高が高いべつの谷の尾根すじになっていて、凍結はさらにすすんでいると思われる。
 スピードをゆるめぎみにトンネルを出ると、スタッドレスタイヤがバリバリと音を立てて路面を踏む。彼はハンドルをしっかりと握りなおす。
 左にゆるくカーブしながらさらに登っていく道をいつもよりゆっくりと走らせる。その先は山のもっとも高い場所にある配達先で、いつもなら快調に飛ばすところだが、今日はそうはいかない。
 このあたりは街灯もまばらで、うっすらと見える稜線の上には星がきらめいている。稜線が見えるのは、新月が近づいてだいぶ欠けているとはいえ月がまだ西に沈みきっていないせいだ。真正面のやや左手の空に、北斗七星が見えている。しかし、その正面もすぐに右に流れる。彼がハンドルを左に大きく切ったせいだ。
 幹線道路を左に鋭角にまがると、そこからの枝道を街までずっとくだっていきながらの配達となる。最初の家は、枝道の入口の右側にある大きな農家だ。ここにまず、農業関係の業界紙をいれる。この家は明かりもなく、道路から玄関先まで距離があるため、彼はダッシュボードに置いた懐中電灯を手にしてから車のドアをあける。新聞を左の小脇にはさみ、懐中電灯のスイッチをいれてから、取っ手を口にくわえる。農家特有の玄関前の広い敷地を、氷を踏まないように気をつけながら進む。
 この家は玄関前もコンクリートで舗装されているのだが、舗装がでこぼこしていて、いつも水溜りができている。雪を溶かすために谷川からひいた水がいつも流れるようにしてあるのだが、夜中は水は止めてある。そのために水溜りが凍結していることが多いのだ。
 気をつけてはいたが、水たまりのへりの部分の目立たない氷にうっかり靴底を乗せてしまって、一瞬ツルッとバランスをくずす。ひやっとしたが、ステップでかわして、転びはしない。
 敷石を踏んで玄関脇の赤いポストに新聞を投函する。
 懐中電灯の明かりをたよりに、車へともどる。今度は足をすべらせない。車はヘッドライトをきらめかせ、エンジン音を響かせながら、後部のマフラーからもうもうと白いガスを吐いて、たのもしく彼を待っている。
 尻から座席に乗りこみ、両足を軽く叩きあわせて靴底の氷のかけらを払ってから、アクセルにつま先を乗せ、ドアを閉めると同時に発進する。
 そこからはずっと、長い下り坂がはじまる。
 順調にいけば、あと一時間半くらいで配達は終わるだろう。都会とちがって、田舎は家と家の間隔が遠く、しかも車での山間部の配達なので、百軒あまりがせいいっぱいだ。都市部だと二百軒はかるく配れるだろう。郵便受けがならんでいるアパートやマンションは楽勝だし、新聞も一社が基本だ。田舎だと朝日も毎日も読売も、スポーツ新聞各紙も、それにくわえて子ども新聞、英字新聞、業界紙、週刊誌などもある。まちがえないように配達するのが大変だ。
 ふだんは東京の販売店で配達しているのだが、春休みや夏休みのあいだだけ故郷《くに》でアルバイトする。最初にやるのは、どの家になにをいれるのか覚えることだ。もっとも、田舎では夕刊の配達はない。
 三百メートルほど下《くだ》り、左に寄せて車を停める。朝日新聞と農業新聞を一部ずつ手にして、今度は懐中電灯を持たずに出る。ぼんやりした街灯の明かりのなかを、まずは右側の村の雑貨屋の、古びて錆だらけのポストに朝日を、道路と用水路をわたって左側の家のドアの郵便受けから農業新聞をすべりこませる。
 新聞配達のアルバイトをしているのは、もちろん貧乏だからだ。世界には学生が働かなくても学べる国がいくつかあるという。しかしここは日本だ。日本はアメリカにならって、貧乏な学生は働かなければ学ぶことができない。たぶん日本という国は豊かな未来を望んでいないのだろう、と本気で思う。
 とはいえ、新聞配達をしている時間は嫌いではない。世間のほとんどの人が眠っているか、あるいは眠りにつこうとしている時間に起きだして働く。やがて仕事を終えるころには夜明けがやってくる。一日のうちでもっとも美しい時間に自分が目覚めて働いていることに、喜びを感じることもある。
 つぎの配達先は道路に背を向けるようにして建っている農家だ。車をぐるりと玄関先まで迂回させて進入させる。この家はいつもネギのにおいがする。朝日をいれる。
 バックさせて方向転換すると、道路にもどり、ふたたびゆるい坂をくだっていく。つぎの家までしばらくあるのと、ほぼ直線にちかい道なので、彼はいつもここでシートの横に置いてある水筒を取って、水を飲む。
 唇を水筒につけたとき、一瞬、塩気を感じるが、すぐに錯覚だとわかる。あのときの記憶が流れ星のように脳内に光跡をつくる。
 いったん下りきった道は、橋をわたってから、ちいさな丘に向かってすこしだけ登りになる。
 ゆるい上り坂の向こう――丘の上には、沈みかけたオリオン座が見えている。
 丘をのぼりきると、かすかにそれと見分けがつく水平線が見える。海と空が、まだ水平線のずっと下にある太陽の薄明かりで切り分けられる時間、天文薄明だ。
 彼は丘の一番高くなったところに車を停め、外に出る。
 丘から平野部を見下ろす。
 かつてはそこに街があった。おおぜいの人が住んでいた。道路を車が行き交い、港には荷や魚が陸揚げされていた。住宅も商店も役場も加工場もたくさんあった。彼もその街に住んでいた。
 彼もまた街とともに流された。
 自分が海へと濁流に連れだされていくとき感じた潮の味は、いまでも彼の唇や喉の奥に残っている。
 彼は車を残し、丘を海岸のほうへと歩きくだっていく。
 かつて街があったところは、いまは太古の昔そうであったように、灌木や草が茂り、小川が流れ、夜明けになればヒバリが巣を飛び立つ。浜の植物が砂地をはい、松の苗がふたたび岩のすきまから顔を出しはじめている。
 あのときのように彼は海へと出ていく。打ち寄せる波しぶきが、徐々に明るくなる空の下でくっきりと形を見せている。
 沖へ、沖へと出ていくにつれ、水平線は輝きを増し、すぐそこに日の出が待っていることを知らせている。オリオンはもう見えない。もうすっかり沈んだのだが、そもそももう星の光はほとんど見えない。
 どこかでウミネコの声が聞こえたようだ。
 彼は一刻もはやく太陽を浴びるかのように、海面をはなれ、空へと舞いあがる。
 空には雲は少ないが、東の空の低い雲は日に照らされて赤く染まっている。
 彼は高く高く上昇し、水平線が丸みをおびているのがわかるほどまでに高度を上げ、やがてウミネコからも見えなくなる。

暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ

(C)2015 by MIZUKI Yuu All rights reserved
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   暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ

                           水城ゆう

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと南寄りの方角からのぼってくる。母屋《おもや》の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏《あんず》と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私たちは真っ暗な巣のなかで身を寄せあい、身体を震わせて暖をとっている。
 日の光が巣箱にとどくと私たちはようやくもそもそと動きはじめる。門番が今朝の天気をつげる。氷点下近くまで冷えこんでいるが、霜が立つほどではない。水場にも氷が張るほどではない。
 飛べるだろう。
 花はあるだろうか。蜜は集められるだろうか。花粉は採れるだろうか。
 一番の働き者たち数匹が巣門から飛びだしていく。のこった私たちはその音を聞きながら、巣箱の板がすこしずつ温められていくのを感じている。
 私たちの中心には幼虫と卵がいて、彼らがこごえないように、無事に孵化するように、私たちは飛翔筋を震わせて摂氏三十度以上にたもっている。冬越しのために集めた貴重な蜜がエネルギー源だ。それが枯渇しないように、すこしでも蜜源の花があるのはありがたい。
 しばらくすると飛びだしていった仲間が一匹、また一匹と、巣にもどってくる。お腹にはたっぷりの蜜がはいっていて、それを仲間に口移しで渡す。そのにおいで、枇杷の花が満開なのだなと私たちは知る。べつの仲間からはヤツデの蜜のにおいもただよってくる。
 今日は冬晴れのようだ。晴れて暖かいうちにできるだけたくさん、蜜と花粉を集めておきたい。しかし、外で活動できる時間は夏よりずっとみじかく、すぐに夕暮れがやってくる。南西にそびえたつスダジイは常緑の葉を生い茂らせていて、巣箱にとどいていた日差しはもう陰っていってしまう。そうすると私たちはふたたび身を寄せあい、ふたたび朝がめぐってくるのを、暗く長い夜のなかで待ちつづける。

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと北寄りの方角からのぼってくる。母屋の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私たちは真っ暗な巣のなかで身を寄せあい、身体を震わせて暖をとっている。
 日の光が巣箱にとどくと私たちはようやくもそもそと動きはじめる。門番が今朝の天気をつげる。
 一番の働き者たち数匹が巣門から飛びだしていく。
 私たちの中心には幼虫と卵がいて、彼らがこごえないように、無事に孵化するように、私たちは飛翔筋を震わせて摂氏三十度以上にたもっている。冬越しのために集めた貴重な蜜がエネルギー源だ。それが枯渇しないように、すこしでも蜜源の花があるのはありがたい。
 しばらくすると飛びだしていった仲間が一匹、また一匹と、巣にもどってくる。お腹にはいくぶんかの蜜がはいっていて、それを仲間に口移しで渡す。そのにおいで、枇杷の花が咲いているのだなと私たちは知る。
 今朝は晴れているようだが、私たちは雨のにおいをかぎとっている。午後には雨が降りだすだろう。それまでにどれだけの蜜と花粉を集められるだろうか。いまの季節、外で活動できる時間は夏よりずっとみじかい。今日はとくに短かそうだ。
 雨が降りはじめると私たちはふたたび身を寄せあい、ふたたび朝がめぐってくるのを、暗く長い夜のなかで待ちつづける。

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと北寄りの方角からのぼってくる。母屋の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私たちは真っ暗な巣のなかで身を寄せあい、身体を震わせて暖をとっている。
 日の光が巣箱にとどくと私たちはようやくもそもそと動きはじめる。門番が今朝の天気をつげる。昨日の雨は夜のうちにやんでいる。冷えこみはゆるく、大気にはたっぷりと湿り気がある。曇り空だ。
 それでも働き者たち数匹が巣門からためらいがちに飛びだしていく。
 私たちの中心には幼虫と卵がいて、彼らがこごえないように、無事に孵化するように、私たちは飛翔筋を震わせて摂氏三十度以上にたもっている。冬越しのための集めた貴重な蜜をエネルギー源だ。それが枯渇しないように、すこしでも蜜源の花があるのはありがたい。
 しばらくすると飛びだしていった仲間が一匹、また一匹と、巣にもどってくる。お腹にはいくぶんかの蜜がはいっていて、それを仲間に口移しで渡す。そのにおいで、枇杷の花が咲いているのだなと私たちは知る。
 晴れて暖かいうちにできるだけたくさん、蜜と花粉を集めておきたい。しかし、外で活動できる時間は夏よりずっとみじかく、すぐに夕暮れがやってくる。

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと北寄りの方角からのぼってくる。母屋の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私たちは真っ暗な巣のなかで身を寄せあい、身体を震わせて暖をとっている。
 日の光が巣箱にとどくと私たちはようやくもそもそと動きはじめる。門番が今朝の天気をつげる。氷点下近くまで冷えこんでいるが、霜が立つほどではない。水場にも氷が張るほどではない。
 飛べるだろう。
 花はあるだろうか。蜜は集められるだろうか。花粉は採れるだろうか。
 昨日は何匹かの仲間がとうとう帰ってこなかった。しかし、今朝も一番の働き者たち数匹が巣門から飛びだしていく。
 しばらくすると飛びだしていった仲間が一匹、また一匹と、巣にもどってくる。お腹にはいくぶんかの蜜がはいっていて、それを仲間に口移しで渡す。そのにおいで、枇杷の花が咲いているのだなと私たちは知る。と同時に、なにか不吉なにおいを私たちはかぎわける。経験のないにおいだが、それは私たちに警鐘を鳴らしているように思える。
 いまの季節、晴れて暖かいうちにできるだけたくさん、蜜と花粉を集めておきたい。外で活動できる時間は夏よりずっとみじかく、すぐに夕暮れがやってくる。南西にそびえたつスダジイは常緑の葉を生い茂らせていて、巣箱にとどいていた日差しはもう陰っていってしまう。そうすると私たちはふたたび身を寄せあい、ふたたび朝がめぐってくるのを、暗く長い夜のなかで待ちつづける。

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと北寄りの方角からのぼってくる。母屋の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私は真っ暗な巣のなかで身体を震わせて暖をとる。
 もう仲間はほとんどいない。多くの仲間が出ていったきり、もどってこなかった。蜜を集めに出かける者もいない。巣は不吉なにおいで満ちている。
 私はこの冬を越せるだろうか。幼虫たちはこごえ、卵は孵化しなかった。
 蜜はたっぷりある。この冬を越せさえすれば私も……
 私は身体を震わせ、ふたたび夜が来てふたたび朝がめぐってくるのを、それが何度くりかえされるのだろう、かぎりなく繰り返されるように思える夜と朝の交代ののちにやってくるはずの春を、寒く暗い巣箱の奥で待ちつづける。