現代朗読における基礎トレーニング

投稿日: カテゴリー: ボス通信

grk現代朗読のライブや公演では、しばしば、リハーサルなし、本番前の稽古もほとんどなし、やっても数回、しかも全員メンバーがそろうのは本番当日が初めて、といったことがめずらしくない。
ゆえに、
「あそこは稽古もしない場当たり的な公演をやっている」
と思われてしまうことがある。
たしかに、段取り稽古はなるべくしないようにしている。

リハーサルというのは注意を払わないと、リハーサルでうまくいった段取りをそのまま本番に持ちこもうとしてしまうことがあるのだ。
これは、「いまこの瞬間の自分自身のありようとできごと」を大切にしている現代朗読の表現にとって大きな障害となる。
リハーサルでおこなったことをなぞろうとするのは、いまこの瞬間に、本来持ちこめないはずの「過去」を持ちこもうとする行為だからだ。

演目自体の段取り稽古は最小限しかやらないが、そのかわり、活動の中心であるゼミでは毎回かならず「基礎トレーニング」をおこなっている。
このトレーニングは現代朗読の表現の根幹となっているもので、ゼミ生には日常的に自宅でもやってもらうようにしている。

現代朗読の表現における基礎とは、口まわりもふくむ身体の整いとそれを緻密に意識する稽古のことだ。
つまり、自分自身の生命活動や活力そのものを感受し、それをいまこの瞬間表現していくための稽古だ。
これは朗読にかぎらず、さまざまな表現で有効なことであり、すぐれた音楽演奏家、役者、ダンサーなどはみなやっていることだろう。
もちろんピアノ弾きである私自身もやっている。
私も現代朗読のメンバーとおなじステージに立ちたいので、同様の訓練を自分に課している。

トレーニングはストレッチ、呼吸法、発声、体認のエチュードをふくむさまざまな朗読エチュードと体系化されていて、そのすべてが身体と声に関わっている。
自分の身体にたいする意識ができるようになると、口先の瑣末な技術が結果的に解決されてしまうこともある。

人はたえず変化しつづける生物だ。
流れ、動き、たえず変化しつづける自分自身の生命活動そのものを表現し、人に伝える、それがイキイキとした表現行為であるというのが、私のかんがえの中心にある。
現代朗読ではけっしてトレーニングをおろそかにしているわけではなく、むしろ厳しく自分自身にアクセスし、整え、生活そのもののなかからクオリティを作りだす訓練をおこなっているのだ、ということがおわかりいただけただろうか。
(主宰・水城ゆう)

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