公演「白い月、あるいは鳥の歌」が終わった(前)

2013年11月15・16日。
カルメン・マキさんをフィーチャーした音楽と現代朗読の3回公演「白い月、あるいは鳥の歌」が、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉にて開催され、無事に終了した。
いつものことではあるが、今回も集客に苦労し、直前まで会場費すら出ないのではないかと懸念されたのだが、幸いあけてみれば多くの方においでいただき、出演者も熱い思いのパフォーマンスとなった。
ご来場いただいた皆さんには感謝を申し上げたい。

余談だが、今回の集客でもっとも力を発揮したのは、フェイスブックとツイッターであった。
やはり日ごろのつながりを大切にしなければいけないなと思うのと同時に、しっかりした情報発信の大切さを確認することになった。

11月15日、金曜日。
正午ごろ、今回の公演を手伝ってもらうゼミ生ふたり、町村千絵と高崎梓が羽根木の家に来る。
野々宮卯妙は印刷物などの準備で忙しい。
私も演奏や撮影機材の準備をする。
今回は専任スタッフがいないので、出演者が準備から入場受付までなんでもやる。
本番ステージにそなえて静かに集中する、などという時間は持つことはできない。
開場して来客の受付をするときも、入口にいるのは出演者、という具合だ。
そういうことに文句もいわず、しかも本番でのパフォーマンスを落とすこともなくしっかりやってくれるのは、日ごろからマインドフルネスと即興性を重視した訓練をしているせいだと思う。

午後3時半、全国配車アプリでタクシーを呼ぶ。
機材を積みこみ、千絵・梓といっしょにキッド・アイラック・アート・ホールに向かう。
野々宮は印刷物を完了させてから来る、とのこと。

午後4時、会場入り。
ホールの早川くんといっしょにステージと会場作り、演奏機材のセッティング。
ステージは前回の沈黙の朗読とほぼおなじ配置に作った。
来客数が少ないので、ピアノをやや前に置き、ピアノの背後は出演の控えスペースとした。

午後5時、マキさんが到着。
野々宮も到着。
マキさんとは初めて合わせる曲が2曲あったので、まずそのリハーサルから。
早川くんはその間に照明合わせ。
曲合わせのあと、全体の流れをざっと確認。
今回の公演は全体のリハーサルは一度もおこなわなかったのだが、当日のリハーサルもごく簡単なもので、進行の確認程度のものだった。
午後6時すぎにはそれも終わり、それぞれ食事したり、休んだりと、本番にそなえる。

午後7時半、開場。
ギリギリまで前売り扱いのチケットがクレジットカードやPayPal決済で予約できることを、フェイスブックやツイッターでこまめに告知したおかげで、直前になって何人もの方が予約を入れてくれて、思ったより多くの方においでいただけた。
知り合いばかりではなく、通りがかりの人や、友人に誘われて一緒に来てくれた方など、初めてお目にかかる方もたくさんいてうれしかった。

午後8時、開演。
私のシンセサイザー演奏からスタートし、マキさんのアカペラの歌、野々宮のひとり朗読と進む。
あとで来場した方から、
「最初の演奏でいきなり癒されて、自分自身になれた。自分は日ごろ、自分自身をどこかにおいてきぼりにして自分自身になることがとても難しいのだが、公演の全体を通じて苦しいことも楽しいことも自分自身の経験とともにずっといっしょにいれた」
という言葉をいただいた。

つづいてマキさんと野々宮の朗読に私が即興演奏でからむ「彼は眠らない」。
そのあと、梓・千絵のふたりが登場して、身体表現をともなった「初霜」を全員で。
ふたりが退場したあと、私のメッセージ「移行」、マキさんの歌と野々宮の朗読を織り交ぜた演目を立てつづけにふたつ、そして最後の「鳥の歌」。
ここでふたたび梓・千絵のふたりが登場、身体表現で参加。

マキさんの歌・ヴォイスはもちろん大きなインパクトを皆さんに与えたし、野々宮の朗読もいつも以上に多彩に冴え渡っていたのだが、梓・千絵も思いがけずよかったのだ。
このふたりが加わってくれたおかげで、パフォーマンス全体が「公演」として引きしまってくれたし、とても集中して表現してくれたのもステージに緊張感を与えてくれた。
動きも存在も美しく、私もピアノを弾きながら見ほれてしまった。
わざわざ日程を割いて参加してくれたふたりには、あらためて感謝。

予定していた時間より長くかかって、終わったら9時半だった。
終演後、何人かの方と話をさせていただいたが、なにやらよい反応をたくさんいただいた。
なかには「いまはまだうまく言葉にできないのであらためて」といってくれた方や、「涙が出ました」という方が何人かいらして、うれしい感触だった。
(つづく)

明日は朗読体験講座

明日は毎月開催している現代朗読体験講座の日だ。
参加者が多かったり少なかったり、いろいろだが、とにかく毎月開催している。

5年くらい前からこの「体験講座」をつづけていると思うが、内容はすこしずつ変化している。
体験講座の内容の変化は、そのまま現代朗読の変化でもある。
現代朗読は文字通り「コンテンポラリー」な表現をかんがえているので、そのありようも変化していく可能性を持っている。
また私たち自身も刻一刻と変化しつづける存在なので、私たちの生の進展、ありようの変化によって、現代朗読のありようもまた変化していく。

現代朗読はなにひとつ「こうあらねば」「こうしなければ」というかんがえのない表現だ。
そして「こうしてはならない」というかんがえもない。
従来朗読の経験者や、また朗読についての従来的なイメージを持った人が体験講座に来ると、そのようなかんがえ方に接してとまどうことがあるだろう。

普通、朗読にかぎらないが、講座やお教室に行った場合、たいていは「こうしなさい」「こうしてはいけない」と、一種の型のようなものを学ぶ。
それがものごとを習得する方法だと思っている人が多い。
しかし、現代朗読ではそれがない。
現代朗読協会はお教室ではないし、習い事をする場でもない。
ここは「表現」つまり朗読という行為を通して自分自身を人に伝える行為を学び、楽しんでいる人が集まっている場なのだ。
ここでは日々、自分の生き方そのものをかんがえ、更新し、またいまここの自分自身を表現することを楽しんでいる。

そういうかんがえ方やコンテンポラリーな表現に興味がある方は、ぜひ一度体験講座にお越しください。
体験講座の詳細とお申込みはこちらから

ののみずしゅんライブ3@下北沢〈レディ・ジェーン〉

10月15日の渋谷〈サラヴァ東京〉では驚愕のパフォーマンスを見せたこのトリオ(残念ながらお客さんは少なかったですが)が、ふたたび下北沢〈レディ・ジェーン〉に登場します。
現代朗読パフォーマー野々宮卯妙、凄腕ヴォーカルの酒井俊、そしてピアノの水城ゆう。
テキストはありますが、演奏・パフォーマンスはすべて即興で、「いまここ」の瞬間の美しくまばゆい火花を散らします。
サラヴァ東京を見逃した方はぜひこちらにおいでください。

◎日時 2013年11月30日(土)19:00開場/19:30開演
◎場所 下北沢〈レディ・ジェーン〉
◎料金 予約2700円/当日3000円+ドリンクオーダー

予約・問合せ
LADY JANE:03-3412-3947
BIGTORY:03-3419-6261
※「現代朗読協会からの案内で」とお伝えください。

サラヴァ東京でのライブの模様(抜粋)はこちらからご覧いただけます。

レディ・ジェーンの大木さんから以下のようなエールをいただいてます。
「即興朗読の前門と即興ディーバの後門に挟まれて、みずは獅子奮迅した夏の陣を終えて、今一度、秋の陣に向かおうとする」

地方やお出かけが難しい方のためのオンラインクラス

私のやっている講座やワークショップのなかで、とくにオンラインクラスについて紹介します。

東京の羽根木の家に直接来にくい方のためにオンラインクラスをいくつか用意しています。
地方在住の方や、介護やお子さんがいるために出かけにくい方でも、学びのニーズを満たすのに最適です。
これは私が東京を離れているときにも、ネット環境さえあれば出先からやれるので、私にとっても都合がいいのです。

現代朗読ゼミ・オンラインクラス
 自宅にいながらにして現代朗読協会のゼミに参加できます。
 現代朗読ゼミ生として、朗読に関するすべてのゼミやワークショップに参加できます。

オンライン次世代作家養成塾
 テキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するためのオンライン講座です。
 扱うテキストは小説、随筆、詩、シナリオ、評論など、ジャンルを問いません。

音声表現スキルアップ個人セッション
 プロの「サバイバル」のための個人セッションです。
 オーディション前のチューンナップや、スランプのブレイクスルーにも大変有効です。
 プロ未満・プロ志望の方も申し込み可能です。

オーディオブックリーダー養成オンラインセミナー

講師・水城ゆうの履歴詳細はこちら

2級ボイスセラピスト講座、テレクラスどんどんやるよ

今日は朝から夕方まで、一日、2級ボイスセラピスト講座だった。
今日は奈良からはるばる来た朋美さんと、1級ボイスセラピスト仮取得の知子さん、そして音読療法士の野々宮卯妙。
少人数で楽しくやらせてもらった。

朋美さんは朗読活動もやっていて、私は行けなかったけれど先日の法然院の野々宮と琵琶の片山旭星さんのライブにも来てくれた。
その感想などあらためて聞かせてもらってうれしかった。

音読療法の柱は「呼吸法」「音読」「共感的コミュニケーション」のみっつなのだが、午後最初にやった共感的コミュニケーションは興味をひかれたとのこと。

終わってから、せっかく遠方から来たのだからと、現代朗読のエチュードもいくつかいっしょに体験してもらった。
体認のエチュードをやったり、ピアノの即興と朗読セッションをやったり。
エチュード本にあった「雨ニモ負ケズ」をたまたま読んだのだが、音楽にちゃんと反応してイキイキと読んでくれた。
おもしろかったので、音楽の雰囲気を変えて2度めのセッションに挑戦すると、またまったく違った表現が出てきて、楽しかった。

朋美さんも現代朗読の核の部分に触れて、びっくりしながらもおもしろがってもらえたようだった。
奈良、京都、大阪、神戸、滋賀といった関西でも現代朗読のワークショップやライブ・公演をやりたいね、という話になり、朋美さんにも協力してもらえるとありがたいなと思う。
もちろん音読療法の展開も。

このように、いま東京でしか学んだり触れる機会がない現代朗読も、ネットを通じて地方や自宅にいながらにして学べる方法がある。
テレクラスはゼミや講座も受けることができる。
もちろん隔靴掻痒の感はあるのだが、それを補完すべく現地でワークショップなどを実施してこちらから出張することも可能だ。
まずはテレクラスをおおいに利用してもらいたいと思う。
この利用が進めば、私のほうも東京不在のときも、全世界のどこからでもみなさんとつながることができる。
そのために、私もテレクラスの内容や、受けやすいような工夫をしていきたいと思っている。

現代朗読オンラインクラス(テレクラス)の詳細はこちら

朗読とはなにか

大上段な問いをあえて立ててみたい。
朗読とはなにか。
朗読という行為の目的はなにか。
朗読することによってなにが起こるのか。

このごろ現代朗読協会での講座やワークショップで私がよく話しているのは、朗読には大きくいってふたつの側面がある、ということだ。

ひとつは「伝達」の側面。
人が声を出してテキストを読みあげるとき、そのテキストに書かれている内容が伝わる。
物語であったり情報であったり、言葉であったり、イメージであったり。

もうひとつは「表現」の側面。
大きくいえばこれも伝達の一部なのかもしれないが、伝わるものはテキストの中身ではなく、朗読者そのものについての情報だ。
声音、息使い、緊張やリラックス、リズム、身体の使い方、雰囲気、におい、目配せ、その他さまざまな膨大な情報が聴き手に伝わっている。
これはまさに、朗読者が自分自身を聴き手に伝えている、つまり表現しているということになるだろう。

朗読という行為によってなにを伝えるのか。
テキストの内容なのか、作者の思いなのか、テーマなのか、自分がそのテキストから受け取った(と思いこんでいる)感動なのか。
それとも、いまこの瞬間の自分自身の存在そのものなのか。

現代朗読では、自分の外側にあるものを伝えることではなく、自分の内側と自分そのものを伝えることを大切にしている。
自分の外側にあるものを表現行為に利用はするが、それは取り替え可能である。
後生大事に「作者の思い」だの「テーマ」だのをかんがえすぎないようにする。
結局、朗読すればテキストは伝わるのだし、その解釈は聴き手が勝手にやるだろうし、また聴き手の解釈をこちらが操作することもむずかしい。
ならば、もっとも確かであること、つまり自分自身のいまここにある存在そのものを伝えることに注目し、集中したい、というのが現代朗読のかんがえかたである。

10月の現代朗読体験講座は10月5日(土)14:00から17:00の開催です。
詳細と申し込みはこちら

現代朗読基礎コースが始まった

全10回シリーズの現代朗読基礎コースが、昨日からスタートした。
土曜日の午前10時半から2時間、12月に最終となる約3か月で、現代朗読の基礎を網羅しようというプログラムだ。

初回の昨日は現代朗読と従来朗読の違い、日本における朗読の歴史、表現アートの歴史とコンテンポラリーアートの成立過程、コンテンポラリーアートと伝統的表現の違い、現代朗読がめざすものなどについて、系統的に解説をこころみた。
現代朗読は「放送技術」に辺倒せず、情報伝達ではなく、自分自身を表現し人に伝える手段として朗読行為をとらえている。
そのために表現の原理を朗読行為にあてはめてかんがえ、さらに各自のオリジナリティを保証する手段として身体性にたいする意識を緻密に高めていくことをする。

このために、いろいろなエチュードが用意されている。
エチュードをやりながら、自分の身体と呼吸と声を感受し、それらが連動して働く意識を持つ。
この目的は、表現を「あらかじめ準備され、たくらみや思いこみで作られた」ものではなく、「いまここ」の自分の身体とこころに正直に誠実に沿うことで、まっすぐにオーディエンスにとどきコミュニケートできるものにすることにある。
このことはまた、自分自身に深くアクセスすることでもあり、朗読の練習をする過程で普段の生活も大きく変わったり、日常の風景がちがって見えたりする。

昨日は最初のガイダンスやお互いの紹介、朗読表現の歴史や現代朗読の考え方の確認などに時間がかかったので、エチュードの時間は短めになった。
呼吸法、ハミング発声と身体の震動の確認、体認のエチュードをふたつだけ。
これらはどれも大切な基礎エチュードなので、毎回かならずやることになるだろうし、参加者には家でも毎日やってもらいたいとリクエストしておいた。

基礎コースは10回あり、定員にすこし余裕があるので、昨日の初回に参加できなかった人も2回め以降から参加可能です。
初回の記録音声や映像もありますので、どうぞ。
詳細と申し込みはこちら

表現のクオリティを左右するもの

明日から現代朗読基礎コースがスタートする。
現代朗読という表現方法へのアプローチがギュッと凝縮され、そして表現力を大きく飛躍させるための訓練カリキュラムがギュッとつまったプログラムを用意している。

朗読というと、日本語の発音発声のルールを練習したり、難解な文学作品の読解方法をたたきこまれたり、それにそった厳密なリズムや音程、間合い、呼吸などのコントロールをやらなければならなかったり、といった、とにかく「むずかしい」「とっつきにくい」というイメージを持ってしまっている人が多い。
本来、朗読表現というのは、そこに書いてある文字を読みあげるだけの、だれにでもできるものであるはずだ。
そして実際、現代朗読にはまったく初心者がやってきて、のびのびイキイキと表現を楽しんでいる。

アプローチがちがうのだ。
表現のクオリティを左右するのは、ルールや技術をおぼえることではない。
決まりきった型や、だれかうまい読み手の読み方をなぞることでもない。
自分自身のオリジナリティにもとづいて、いまこの瞬間の自分自身の生命力を最大限に発露することができるかどうかにかかっている。
そのためにもっとも重要なのは、思いこみを捨てて自分の身体に向き合う、ということだ。

朗読はとても敷居が低く、だれにでも取りくめる表現だ。
しかし、その奥行きはとても深い。
初心者は初心者なりにおもしろい表現が可能だし、経験者はさらなる奥行きをめざすことができる。
いずれにしても、向かい合うのは自分自身の身体。
身体というのは、精神や感受性もふくまれている。

現代人はなにかをするときに、自分の身体を意識するということがとても苦手になってしまっている。
朗読という行為は、自分の声と呼吸を用いるものだが、それが自分の身体からもたらされるということを忘れがちになる。
そのことをしっかりと思いだし、身体性を意識し、声と呼吸と全身のはたらきを密にしていくことで生命の輝きそのものを表現する、それが現代朗読のめざすところだ。

明日から基礎コースがスタートするが、定員に多少余裕があるので、明日は来れないという人も次回以降の合流参加も可能です。
詳細はこちら