かなたから来てここにたどり着く

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かなたから来てここにたどり着く

水城ゆう

それは丸いガラス球のなかに閉じこめられていて、ひっくり返すとなかの白い砂つぶのようなプラスチック片がきらきらと光りながら舞いあがる。底を下にして置きなおすと、白いつぶはまるで雪が舞い降りるかのように静かに降り積もっていく。
ガラス球のなかに閉じこめられているのは、ちいさなクリスマスツリーだ。ツリーの横には赤い帽子をかぶった雪だるまが置かれている。帽子のてっぺんには白いボンボン、ツリーのてっぺんには金色の星をいただいている。雪つぶはそれらの上にも降りつもる。
まるで小さな世界がそのなかにあるみたいで、九歳の私の手のひらにぴったりの大きさなのに、世界の重要性を示すかのようにずっしりと重かった。
もうサンタは信じていなかったけれど、まだ定められた儀式として残っている枕元へのプレゼントとしてパパが買ってくれたものだ。
私の宝物。

母があけてくれた扉の向こう側には、色とりどりにピカピカと点滅する電灯に飾られたツリーが部屋の奥に据えられていて、私はそれ以外なにも目にはいらなくなった。ツリーの横にはまだ三十代なかごろの父が得意げな表情で立っていたけれど、最初は気づきもしなかった。
電灯が不規則に点滅していることも不思議だったし、赤や緑や黄や白などいろいろな色の光があることも驚きだった。
あとで知ったことだが、ツリーは本物の木ではなく組み立て式のプラスチックのレプリカで、たくさんの電灯がくっついているひも状の電線が巻きつけられて、簡単なリレースイッチで点滅が繰り返されるようになっているものだった。
五歳の私は美しいツリーから目をはなすことができなくなってしまった。

皺とシミだらけで乾燥しがちな使い古した肌には、この空気は寒すぎる。生まれて二か月の赤ん坊にも寒すぎるだろうと思う。連れてこなければよかったと後悔したが、毛布にくるまれて私の腕のなかですやすやと眠っている。
公園のヒマラヤ杉にはだれがしつらえたものやら、LEDの電飾がてっぺんから巻かれていて、青白い光を無数に放っている。木には迷惑なことだろう、しかし恋人や家族たちは歓声をあげてスマートホンのカメラを向けている。
目をあければ赤ん坊には飾られたツリーがどのように見えるのだろうか。それは海馬の奥深くにイメージの記憶としてしまいこまれ、いつか取りだされることがあるのだろうか。
私の記憶にも思いだせるもの、思いだせないもの、たくさんのクリスマスツリーのイメージがしまいこまれているが、それらもやがて消える。しかしこうやってこの子を抱いていると、私の消えゆく命がそっくりそのままこの子のなかに移行していくような気がして、安らぎをおぼえる。
その安らぎと、目のなかの光景を赤ん坊に転写するかのように、私は赤ん坊をしっかりと抱きかかえる。

なにをしてもなにかをした気になれない。どこにいてもどこかにいられる気がしない。三十年もそんな苦しみのなかにいた私が、とうとうここにいてもいいといわれた。
私は主のもとに膝を折り、手を合わせて祈る。
ここにいてもいいといわれるなら、どこへでも行くだろう。どこへでもおもむいて、自分の身を人々のために投げ打てるだろう。主がそれを許されたのだから。
やっとここにたどりついた。もみの木のてっぺんに、ちょうど礼拝堂の十字架が見えている。

わたしの誕生日はクリスマスの前の日。だから、クリスマスプレゼントも誕生プレゼントもいっしょになる。ふたついっしょなんだから、ふつうのプレゼントよりも豪華なんだよってママはいうけれど、別々のほうがいいに決まってる。ついでにお正月になれば、クリスマスプレゼントも誕生プレゼントもあげたばかりだからお年玉は少なめよ、家計だって苦しいんだから協力してねっていわれる。そんなのずるいし、悲しい。でもわたしは今日で八歳なんだ。幼稚園からだいぶたつし、もう大人だよね。猫だったら中年といってもいいくらい。だから、家計のことには協力するし、文句もいわない。ママだってわたしが小学校に行きたくなかったとき、文句いわずに好きにさせてくれたし、いつも大事に思ってくれている。そんなママのこと大好きだから、わたしもあれこれいわない。でも、すこしはわかってほしいのよね、わたしの気持ちも。すこしはね。すこしでいいからね。

母が亡くなったあと、実家を片付けるのは本当に、本当に大変だった。ものがあふれていて、それもいらないものばかり。なにも捨てられない人だったのだ。すべてのものに思い出がくっついていて、母にとっては大切なものだったのだろう。とはいえ、私にとってはゴミでしかない。
ほこりにまみれたガラクタをつぎからつぎへとゴミ袋に詰めこんでいく。
クリスマスツリーの箱が出てきた。あけてみると、ツリーはプラスチックのレプリカで、劣化して色あせている。組み立てようとしても、たぶん折れてしまうだろう。点滅式の電灯をいちおうコンセントに差しこんでみたが、つきはしなかった。
この箱を、母は年老いてから、あけて見ることがあったのだろうか。
蓋をしめ、私はそれを不燃ゴミの山の上に積みあげた。

それがどうやってこの砂浜にたどりついたのかはわからない。波打ち際よりすこし小高くなったハマヒルガオの群生地の近くに、それはなかば砂に埋もれていた。
子どもの手のひらにすっぽりおさまるほどの大きさのガラス球。なかは透明な水で満たされ、横だおしになったツリーと雪だるまの上に雪が降りつもっているような風景が閉じこめられている。
人口爆発と環境破壊とシンギュラリティから千年がたち、わずかに生きのこった人類と機械文明がほそぼそと地球の調和をたもっている。
カニが一匹、好奇心にかられて近づいてきた。ガラス玉のなかに食べるものがないか調べはじめたが、すぐにあわてて離れた。不完全とはいえ、焦点を結んだ太陽光にあやうく焼かれそうになったのだ。

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