「キッズ・イン・ザ・ダーク」レポート

投稿日: カテゴリー: 公演レポート
このほかにも、昨日の公演のことを書いてくれているゼミ生がいる。
たとえば、こちら、菜穂子さんが書いてくれたブログ。

午後1時、開場。
会場のキッド・アイラック・ホールはかなり狭く、予約者は40人で締め切ったのだが、それでも当日予約せずに来てしまう人もいたりして、それは予測できたことだったので、会場内には40席以上を用意した。
これがなかなか大変だった。
席を作るのは簡単だが、パフォーマンススペースを充分に確保するのに苦労した。
朗読とはいえ、げろきょのパフォーマンスはかなり動きまわるので、ある程度のスペースが必要なのだ。

開演時間の1時半には、会場は来客と出演者でぎっしりと密集した状態になっていた。
そんななか、時間どおりに開演。

暗転後、まずは私の音楽演奏からスタート。
完全に真っ暗な中での演奏。
今回、キーボードを2台使用したので、暗転演奏にはちょっとだけ苦労した。

演奏が終わったら、照明がつき、まずはライブワークショップ参加者によるパフォーマンス。
漱石の『草枕』をフリーリレー朗読でバラバラと登場。
あらかじめ会場中央に用意されていた4脚の椅子のまわりに集まって、次の演目に移る。

次は賢治の「なめとこ山の熊」。
これは椅子に立ったり座ったりしながらの、全員での移動朗読。
かなり難しいパフォーマンスだったが、たった6回(実質的には5回)のワークショップを受けただけの参加者が、しっかりと演じてくれた。

椅子取り朗読。
ひとりずつ中央に残されたひとつの椅子に座ってそれぞれの作品を読むのだが、先に椅子に座っている人は、次の人になかなか譲らない。
次の人は力づくで椅子を奪わなければならない。
そのときの力んだ身体から発せられる声の変化や、ふたりのせめぎあいが楽しい。

いったん暗転。
ゼミ生のパフォーマンスが引きつがれて、「山なりのお」というパフォーマンス。
暗闇のなかに響く「おー」という声が、お客さんには怖かったかもしれない。

以後はゼミ生によるパフォーマンス。
まずは「いちめんの菜の花」。
バラバラに始まった朗読が、急速にギュッと収束して、全員がひとかたまりになり、凝固。
そしてほどける。
それを3回繰り返す。

引きつづき、こだま朗読。
ひとりめが発声した詩の一節を、こだまのように次々とまねていく。

つづいて、輪になってぐるぐる回りながら、詩を読む。
音楽もシンクロ。
読む者が行進時の動作も決め、つづく者がそれをまねしていくという形式。
人数分くりかえされるので、さまざまな読みと動作のパターンが現れて楽しい。
もちろん、音楽もバリエーションを楽しんだ。

出演者が入れ替わって、ふたたび「いちめんの菜の花」の朗読。
しかし、パターンが変わっていて、今度は「挨拶朗読」。
ことさら強調した日本人の「過剰な挨拶」を、詩を使っておこなう。
これも楽しかった。

出演者がふたたび交代して、ディレイ朗読。
ひとつの詩を5人で、ディレイのように少しずつずらして読む。
一節ごとに会場を駆け抜ける役割の人もいる。
布を持ってひらひらさせながら、駆け抜けていく。
最後は鳥の羽毛がふわっと舞う。

サーカスのブランコ朗読。
中也の「サーカス」という詩を、空中ブランコをなぞらえた動作の3人と、朗読の2人がコンビネーションで演じる。

猫朗読。
朔太郎の「ねこ」という詩を、読み手がひとり、猫役が3人で演じる。
最後は「おわあ、おわあ」といいながら、ゼミ生が全員中央に出てくる。

猫がいっぱいになってパニックになりそうになったところへ、指揮者猫があらわれて、整理。
指揮にしたがって、「春はあけぼの」という枕草子の冒頭部分を、輪唱朗読。
これはとても音楽的な朗読。

今度はゼミ生のよる『草枕』の朗読。
ひとり、ふたり、三人以上がそれぞれのタイミングで出ていきながら、中央でコンタクトして反応して、次々と読んでいく。
かなり複雑な動きと読みで、これも難しいパフォーマンスだが、ゼミ生たちは楽しみながらマインドフルに演じてくれた。

賢治の「雨にも負けず」の朗読は、関節朗読と読んでいる方法。
身体のあらゆる関節を曲げた状態からスタートして、詩の読み終わりの瞬間にはあらゆる関節を伸ばしきった状態になる、というもの。
最後の「そういうものに私はなりたい」という箇所は、感動的だった。

最後の演目。
私が書いた「祈る人」。
ゼミ生もライブワークショップ参加者も、全員が出演。
自由朗読と読んでいる、全員で読みながらも自由に読んでいいという、げろきょのもっとも特徴的な朗読方法だが、ひとりひとりが個性を発揮しながらも全体でひとつの表現をしているという、とても感動的なパフォーマンスになった。

終わってみると、ろくにリハーサルもできない中、またワークショップ参加者とゼミ生はほとんどが本番当日に初めて顔を合わせたという状況の中、奇跡のような質の高い公演となった。
これは現代朗読のひとつの到達点であり、また通過点でもある。
しかしまちがいなく、これからの方向性を確認できた公演だったと思う。
(演出・水城ゆう)

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