LADY JANEをはさんで……板倉克行・水城ゆうとの思い出、そして3人ライブのこと

カルメン・マキさんと伊勢崎賢治さんと野々宮卯妙の組み合わせでのライブも2023年1月で3回目となります。

異色の取り合わせと言われますが、なぜこの3人が集まったのか、下北沢の老舗ライブバー、レディージェーンと野々宮のおつきあいをからめて、これ以上忘れないうちに書いておこうと思います。あちこち寄り道して長文ですが……。

 

レディージェーンとの出会い〜板倉さんとの思い出

下北沢で1975年から続く老舗ライブバー、レディージェーン。松田優作が通ったということでも有名ですが、誰でも出演できるわけではないというハードルの高さ(?)でも知られます。名前や実績ではなく、名物オーナーの大木さんがおもしろいと思うかどうか、というのがそのハードルの正体です。

ピアニスト板倉克行さん野々宮の初レディージェーンは、2012年7月、ピアニストの故・板倉克行氏と。

板倉さんはすばらしいピアニストでした。その音色はピュアで美しく、独創的でエネルギッシュで、でも酒量が多くて「ライブ前に飲ますな」と言われていましたっけ。震災後に福島に移住されたときは、ライブ後は夜行バスで帰るのに酔っ払って乗り損ね駅の路上で寝ていたというので、心配で何度か羽根木の家に泊まってもらいました。夜中まで掘り炬燵で飲んでいた姿、朝ごはんのあと縁側で庭を眺めながらタバコを吸っていた姿が思い出されます。

板倉さんにはとても可愛がっていただき、新宿ピットイン、入谷なってるハウス、下北沢レディージェーンなどなど、憧れのライブハウスで共演させていただきました。板倉さん自作のセシウムの詩や、晩年は万葉集の朗読を頼まれました(選択はこちらに任された)。理解を超えた(記憶も)ぶっ飛んだ内容、セッションで、ただただ着いていったのみでした。

板倉さんは福島から国分寺に越し(国分寺が好きなんだと言っていました)、夜中に路上で寝る心配はなくなりましたが、2013年春に一人で飲んで店を出たあと転倒、ちょうどお店の人が携帯の忘れ物に気づいて渡そうと出たところでそれを目撃、すぐに救急車を呼んだものの脳挫傷を負い、意識不明の状態からは戻ってきたものの、そして「ピアノの音に反応する」ようにはなったものの、2014年1月10日に亡くなりました。70歳でした。

外国で日本語で現代朗読をしたいと話したら、板倉さんは「一緒にパリへ行こう。パリで日本語で朗読しろよ」と言ってくれました。もうすぐにでも行こうと思っていたのに。

奇しくも翌2015年、日本で初めてのポエトリー・スラムが開催されました。優勝者はパリで行われる国際大会に招待されます。私は3人のファイナリストの一人に残ったのですが、僅差で敗れ、パリで日本語で朗読できるチャンスは手にできず終わりました……。

 

レディージェーンでやったとき、大木さんに「やりたいときはいつでも電話して」と言っていただき、その後水城ゆうを紹介して、酒井俊さん、蜂谷真紀さん、翠川敬基さん、森順二さん、等々尊敬してやまないミュージシャンの方たちとのトリオライブをたくさんやらせていただきました。

水城も2020年8月15日に亡くなりました。63歳でした。最後のステージは2020年1月、知立市での演劇祭。彼がずっとサポートしてきた小林サヤ佳さんのステージでした(右写真)。

最後から3番目の2019年11月、渋谷でのスタジオライブ「事象の地平線〜イベント・ホライズン」は映画監督の人が撮影してくれた映像があり、節目のときにオンライン上映会をしています。

「事象の地平線」ライブ映像を見ていると、この2年弱の間に野々宮はずいぶん変容したと思います。生きていれば。

「生きて居れば空が見られ木がみられ/画が描ける/あすもあの写生をつづけられる」(村山槐多『第三の遺書』より。水城とやっていたシリーズ『槐多朗読』で最も印象に残るフレーズ)

野々宮の朗読と水城のピアノの即興セッションというスタイルでやってきたので、水城亡きあと誰とやれるか、もう封印か、とぼんやり思っていましたが、2022年4月、久々にレディージェーンにお客として訪問すると、大木さんから声をかけてくださいました。水城の訃報も知らなかったとのことで、非常に残念がってくれました。大木さんがそんなに水城を買ってくださっていたと知って、嬉しかったです。

それからしばらくして、いきなり、6月に入れないかという連絡をいただいてびっくり。それでようやくスイッチが入りました。

 

2022年6月 3人での初ライブに向けて

まず最初に、いつかデュオ朗読をと思っていたカルメン・マキさんに打診の連絡をしました。

マキさんとはもともとお互いの娘同士が友だちというママ友(笑)で、その縁で私の会社で2010年に朗読CD「白い月」を制作しました。ここで「人間が読む」という圧倒的な感覚を体験しました。その後も、今はなき明大前のキッド・アイラック・ホールでの現代朗読公演に出てもらったり、寺山修司作品のオーディオブック制作を依頼するなどしてきました。

歌は当然として、朗読も人なり、ということを彼女に教えられました。

そして水城ががんだとわかってまもない頃、うちの近くのライブハウスに出演する際に寄ってくれました。そのあと私が一人でライブハウスに行き、マキさんの歌が沁みて泣いていた横に来て、休憩中寄り添ってくれたのでした。

レディージェーンでやるなら彼女しかいない。

ボイス2人でもアヴァンギャルドなことができそうだけれど、やはり楽器の音もほしい……。

朗読との即興を理解してくださるミュージシャンは限られ、実力派の方々にお声がけさせていただきましたが、週末だけにどなたも予定あり。どうしよう、マキさんと対峙できる人なんてそうそういない……と思ったとき、脳裏に閃いたのが伊勢崎賢治さんでした。

伊勢崎さんは紛争解決の分野で著名で、国連での活動や東京外国語大学教授という肩書きをお持ちですが、実はトランペッターでもあります。紛争解決の現場経験やトランペットを始めたきっかけを知って、(自分は棚に上げて)この人とマキさんのセッションが見たい、と思いました。そうなるともうこの組み合わせしか思い浮かばず、伊勢崎さんに連絡したところ、速攻で「やります!」とお返事が。

マキさんは「その日は空いてるって言っただけなのにー」とか言ってましたが会えば3人意気投合、水城ゆうのテキストだけで構成した6月25日のライブは満席、予約なしの方はあわや立ち見となりかける盛況のうちに終わりました。

水城には世界を切りとるスケッチ風の掌編に佳品がたくさんあり、なかでも911をきっかけに戦争・紛争を背景にした作品がわりと多く残っています。この1st ライブでは、それらを選んで組み合わせました。このメンバーで他のテーマは思いつきません……。

ライブではアンコールのための作品も用意しますが、私の中では「祈る人」一択でした。

それをお客さんも一緒に群読するのです。

水城と野々宮で何年もやってきた「沈黙の朗読」シリーズでは、観客のみなさんのなかに「自分も創造したい」という思いを引き出すということが起き、みなさんがその思いを即座に実践する姿を見て、ああ、これこそが望みだった、と思いました。

現代朗読は、見る人の創造力を引き出す。

群読というアイディアはまったく自然に出てきたもので、ふだん配布物は用意しませんが、今回はセットリストやプロフィールとともに「祈る人」を載せたリーフレットを用意しました。

アンコールでは、みなさん自然に朗読に参加くださり、出演者も伊勢崎さんを含め全員が朗読に参加しました。

強制ではなく、自然に声が生まれ、言葉が織られていく。上手下手の評価もなく、ただ思い思いに読む(このアンコールがすごく良かった、来て良かった、という方もいらっしゃいました笑)。

みなさんが帰っていかれるなか、大木さんがうなずきながらぽつんと、「すばらしかった」とつぶやきました。

 

2022年11月 2nd ライブ

マキさんが12月は大忙しとのことで、では半年後の11月として、半年に1回ぐらいやれるといいね、という話になりました。レディージェーンに日程をおさえてもらい、さて内容は。

マキさんからは寺山修司「玉音放送」を読んでみてよと言われており、これを軸に構成することにしましたが、この作品自体は10分程度です。まずは寺山作品から組み合わせられるものを探してみるとして、ほかに何を組み合わせるか。野々宮の腕の見せ所です。しかし1回目は好き勝手やりましたが、2回目となると意識が前に出てなかなかに難しい。

野々宮が思う3人の共通項は、非暴力、平和を希求しているということです。

ウクライナの戦争についても、「どっちが悪い」とは考えず、どちらかに加担することは戦争を肯定・助長することであるからいずれかに与することはしないという点で一致していました。しかし伊勢崎さん曰く、そう言ってるのに世間では「じゃあロシア派か」などと言われてしまって辟易するのだそう。二元的な考え方の枠から抜けられない人が多いようです。

 

ところで野々宮は2014年8月から世田谷区内・下北沢と三軒茶屋の駅頭で、月に1度「せたがやピースアピール」という活動を、生活者ネットワークというローカル政党の人たちと続けています。コロナや選挙での中止がありましたが、これまで活動回数は90回を越えます。

非暴力コミュニケーション(NVC)を学んできた野々宮は、「戦争反対」では動けないしお互いを苦しめる、「平和が好き」を訴えていきませんか、そのためにフリースピーチではなく(一般の人が自分の文章を読むのと他人の文章を読むのとでありようが変わるため)朗読をしませんか、と提案。その主旨でテキストを選び、路上で朗読してきました。

政党による正当な政治活動ということでマイクやスピーカーを使うことが許可され、排除もされず、主旨に賛同される方なら誰でも望めば自由にマイクを(5分ぐらい)使って朗読してもらえます。

誰かを非難したり弾劾したり正義を主張するのではなく、こちらの望みを、思いを伝える。

芸術表現はすべからくそれが可能ですが、朗読は文章・言葉を読むことでダイレクトに表現できてしまう手法です。また、読み方次第で文章を化けさせることもできます(ベル・エポック時代の名女優サラ・ベルナールが、レストランのメニューを読んで聞く人を泣かせたという伝説がありますね)。

それだけに、路上でのテキスト選びは気を遣ってきました。ダイレクトすぎる文章は、人を遠ざけてしまう。そういう考えから、野々宮は夏目漱石「夢十夜」の「第九夜」をよく読んでいます。といいつつ、毎回皆で読むのが、日本国憲法前文です。読むたび、いい文章だなあとじわりと来ます。「戦争反対!」ではなく、諸国民との信頼をもとに「恒久の平和を念願」している文章なのです。

といった体験をふまえ……

……この3人でなら、ダイレクトな文章でも、オブラートに包んだりしなくても、ユーモアと知性と個性でメッセージをメッセージとして表現できるはず。

その臆さぬ心で「戦争に抗う」を前面に出したのが、2nd ライブのテキスト構成でした。

すべてに伊勢崎さんのトランペット(たまに声)が自由に絡みます。

寺山修司「誰か故郷を想はざる」から、戦後の混乱と大人たちへの不信を青森の田舎町のドタバタ劇としてユーモラスに描いた「玉音放送」「アイラブ・ヤンキー」を組み合わせ、マキさんと野々宮の朗読劇を模したデュオ朗読。

伊丹万作のズバリ「戦争中止を望む」をマキさんの朗読で。それに野々宮がマキさんの詞「1999」を「2022」に置き換えてオーバーラップ朗読。

日本国憲法前文を伊勢崎さんも加わって、三重唱フリー朗読。

福沢諭吉「学問のすすめ」を中略で繋ぎ、国名を置き換えるなどちょっとだけ改変……などなど、一見カオスながらテーマは一貫、しっかり主張しつつも押し付けにならないユーモアを散りばめました。

さて、どんなライブとなったか。いただいた感想を一部ご紹介します。

  • 日本国憲法前文や学問のすすめがこんなに生きた文・ことばとして聞こえてくるなんて、新鮮な驚きでした。
  • 奇跡のような時間でした。憲法、読んでみます。
  • 学問のすゝめは驚きました。全然違って聞こえました。
  • 祈ることの意味を考えました。

伝わった……! 教えてくださりありがとうございます。肯定表現のフィードバックは演者の燃料。

大木さんはまたもうなずきながら、「これはやり続ける価値があります」とつぶやいていました。

 

そして2023年1月、3rd ライブへ!

 

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